簡単な夕餉を済ませた後、煉骨はいそいそと自分に割り当てられた部屋に引っ込んだ。
先日予報されたとおり外ではしとしとと雨が降り続いているので、室内はいつもより暗い。早めに床を延べて、その中でゆっくり読書にふけるつもりだった。
燈明皿とうみょうざらに火を灯して枕元に置き、鴉天狗から返された二冊の書物を並べて開く。
原著とは別に用意された冊子には、なかなかに読みやすい手で訳が記されている。脳内に爆誕した怪物は、ちゃんと知能を持っていたらしい。
ようやくジョージにもらった書をきちんと読めるようになったのだと思うと、胸が高鳴った。
本を受け取った際に口頭で礼は告げたが、襲には後日きちんと礼を返すべきかもしれない。
「えっ、ここってこういう……? 認識が間違ってた……」
灯火の中、時間を忘れ夢中で読み進めていた煉骨だったが、夜更けを過ぎるとさすがにまぶたが重くなってきた。燈明皿の燃料も残りわずかとなっている。
――あと一項読んだら終わりにしよう。
そう決めて項を捲った先に、潰れてひしゃげた得体の知れないものがべったりと貼りついていた。
夜中の屋敷内に轟いた絶叫に叩き起こされ、各部屋に散っていた七人隊の面々が何事かと煉骨の部屋に集まってきた。
布団から飛び出してわなわなと震えていた煉骨は羅刹の睡骨を認めると彼の胸倉をつかみ、ぐっと詰め寄って叫んだ。
「かっ、襲を呼べ! 今すぐ! 早く!!!」

夜中に呼び戻された襲は、煉骨に突き付けられた本の項を見て目をしばたいた。
変なものが貼りついている。
「これはなんだ」
「俺の台詞せりふだっ!!」
くわっと怒号した煉骨から本を受け取り、襲は潰れた何かの端に爪をかけて、慎重に剥がした。幸い、本自体には汚れも傷も付いていない。本に挟まれて潰れたというより、潰れた後で本に挟まれたようだった。
ぺらぺらの干物のようなそれをつまんで掲げ、曲げたり伸ばしたりひっくり返して観察していた鴉天狗は、しばらくしてやや困惑気味に言った。
「……凶骨だ」
その場の空気が静止する。
「は?」
「小さくなって潰れた……凶骨だ」
「……は?」
皆が疑いの目で襲の手元を覗き込む。そしてたっぷり三呼吸。
「確かに」
「言われてみれば」
薄く引き伸ばされているし、そもそも大きさが天と地ほども違うのでその可能性すら頭に無かったが。
「……凶骨…だ、な」
ほぼ確信めいたものを感じたものの、蛮骨は目の前の現実をすんなりとは受け入れがたく、天狗に再度の確認をしてしまう。
「……ほんとに?」
凶骨にとてもよく似た別の何か、という可能性も――。
しかし、襲は迷いなく頷いた。蛮骨が目元を覆う。
「何が起きてるのかわからねえ」
「俺もわからん」
そう言いながら襲が手渡してきた引き伸ばし凶骨を、蛮骨はてのひらの上に受け取った。
「これ……死んじまったのか……?」
おずおずとした蛮骨の問いに、襲はひとつかぶりを振った。
「いいや、まだ息はあるようだ」
「え、生きてんの? この状態で?」
蛇骨が半信半疑で凶骨をつまみあげ、ぴらぴらと振り回した。直後に煉骨に頭をはたかれ没収される。
「な、なんで凶骨がこんなことに」
霧骨が呆然と呟いたが、本人に話を聞かないことには何もわからない。
しかしこの状態ではとても話せまい。まずは潰れているのを何とかしなければ。
「襲の術で膨らませられるんじゃ……」
「できん事は無いだろうが、これほど小さいと、加減を誤れば即座に端微塵ぱみじんだ。できれば最終手段にしたい」
そう言われては無理強いもできず、ひとまず思いつく限りの方法を試してみることにする。
まず、椀に入れた湯の中に投入して湯煎してみたが、ふやけるばかりで膨らみはしなかった。
次に蝋燭の火で軽くあぶってみたが、香ばしいにおいがするばかりで膨らみはしなかった。
そのまた次に、限界まで引き伸ばせば反動で縮むのではと両手足を持って引っ張ってみたが、さらに細長く伸びただけで膨らみはしなかった。
「……」
ことごとく失敗に終わった蛮骨たちが腕を組んで思案に暮れていると。
「口から空気を入れれば良いんじゃねえか。紙風船みてえに」
ぼそりと霧骨が提案した。
皆が虚を突かれた顔をし、なるほどなと頷く。
代表して羅刹の睡骨がぺらぺらな凶骨を霧骨に差し出した。
「どうぞ」
「え?」
「お前の案だから、お前にさせてやる」
有無を言わさず押し付けられた霧骨の顔に形容しがたい感情がにじんだ。
「……ちっ」
呪うような舌打ちをすると、霧骨は実に不本意な面持ちで凶骨の干物を顔の前へ持ち上げた。
大きく息を吸い込んで分厚い唇を突き出し、潰れ凶骨の顔面へ押し付ける光景を、七人隊と鴉天狗が無言で見ている。
口を合わせた霧骨がぷう、と息を送り込むと、凶骨の体が徐々に膨らみ始めた。傍観者たちの中から「おぉー」と感嘆の声が上がる。
短い四肢まで空気が行き渡り、引き伸ばされた体が縮んで徐々に本来の比率を取り戻していく。
輪郭が凶骨らしくなってしばらく、彼は突然、溺れたように咳き込んで覚醒した。
「ひっ、ひぃっ、はあぁっ……!」
水から上がった魚のようにぱくぱくと口を開閉する小さな凶骨を、蛮骨たちが覗き込んだ。
「凶骨、大丈夫か!?」
「しっ……、死ぬかと、思っ……!」
霧骨の唾液で顔面を濡らし、大きく肩で息をしながら滂沱ぼうだの涙を流す凶骨に、さしもの七人隊も憐憫れんびんの念を抱かずにはおれない。自分は一生体験したくないと考えてしまう。
嘔吐感に苛まれつつも彼がひとしきり呼吸を落ち着けるのを待って、蛮骨は最も気になる事柄を問うた。
「何がどうしてそうなった」
「お、俺にもよく……」
凶骨は我が身に起こった出来事を、覚えている限りぽつぽつと語り聞かせた。
草むらで昼寝をしていて、目覚めたらこの姿になっていたこと。懸命に呼びかけたが、誰にも気付いてもらえなかったこと。蛇骨に踏み潰され、色々と偶然が重なって本の間に挟まれてしまったこと。その後よくわからない場所に連れていかれ、よくわからない妖怪に不格好だなんだと言われ、ご丁寧にも再び本に挟まれて今に至ること。
話し終えた凶骨はめそめそと泣き出した。
「俺、ただでさえあんまり役に立たねえのに、唯一の取り柄だった図体のでかさまで無くなっちまった」
これじゃ七人隊にいられねえ、とこの世の終わりのような顔をする凶骨を励まそうと霧骨が声をかける。
「待て待て。まだ永久にそのままとは決まってねえだろ。きっと元に戻る方法があるさ」
「その、昼寝をしてたって場所に行ってみれば良いんじゃねえか。何か手掛かりがあるかもしれねえ」
煉骨の提案に襲も首肯する。
「いずれ、妖怪の仕業には違いないだろう。痕跡が残っていれば特定は可能だ」
「う……うん」
皆の言葉に多少勇気づけられたのか、凶骨はぐしぐしと涙を拭った。
わずかに顔に明るさが戻った途端、へその辺りが低く長い唸り声をあげて空腹を訴えた。

 

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