領主が住まう御殿の上空を、漆黒の巨大な翼を広げた影が横切った。
鴉天狗の両脇には翔馬と煉骨がそれぞれ腕一本で抱えられている。
煉骨は領主から羽衣を取り戻す策があるという襲に、なぜか一緒に来るよう名指しで指名されたのだ。
人間二人は遥かな眼下を流れゆく景色に眩暈を覚えながら天狗の腕にしがみついていた。妖怪にさらわれる人間がいるとしたらこんな心境だろうか。
彼らは城からいくらか距離をおいた木立の中に着地した。木々の間から平城ひらじろの小ぶりな天守と、周囲を囲む白塀が見える。
襲が手近な枝から傷の無い葉を一枚取り、手拭いで覆われた煉骨の頭頂に置いた。その上から二、三度ぽんぽんと軽く叩かれ、煉骨は不可解な表情になる。痛くはないが、何だこの儀式は。
「わあ」
翔馬が感嘆の声を上げた。少し視線を動かし、すぐにその理由を悟りぎょっと目を剥く。
知らぬ間に煉骨の服装はいつもの小袖に鎧姿から、網代笠に直綴を纏った雲水うんすいのものに様変わりしていた。
「はぁっ!? え!?」
両手を上げ下げして自分の恰好を見下ろし、目を白黒させる。
「おっ、俺の鎧は!? 衣は!?」
「今も身に付けているぞ。見た目を変えているだけだ」
襲はそう言うが、生地の質感から重さからまったく別ものになっており到底信じられない。
戸惑う煉骨をよそに、襲がそこらに落ちている適当な枝を拾い上げ指先で一回転させた。たちまち身の丈ほどの錫杖ができあがる。
それを煉骨に持たせ、彼の全体像を確認してひとつ頷く。
「やはり、さほど違和感がないな。あつらえ向きな頭で助かった」
煉骨は言葉を失って鯉のように口をぱくぱくさせた。まさか髪型だけを理由にわざわざ連れてこられたというのか。
唯一元のまま残っている顔の模様に目を留めた鴉天狗の紅眼あかめがほんのわずか細められた。
「顔のそれは自分で消せるだろう」
煉骨はうっと詰まった。話題にした覚えも無いのにあっさり看破されている。
否定するのも無意味と観念し意識を集中すると、顔の広範囲を覆っていた派手な模様が透けるように消えていった。
「わあ」
翔馬はそれも術の一環だと思ったらしく小さな拍手を送ってくる。実際、これがどのような仕組みで浮いたり消えたりするのか煉骨自身よくわかっていないので、説明を求められずに済むのは楽だった。
さっさと用を済ませるべく、三人の男たちは城門を目指して歩き出す。木立を抜け人々が雑多に行き交う城下を歩いている途中、襲が思い出したように口を開いた。
「煉骨の僧侶としての名が必要か」
人間になりきっている彼は歩きながら無言で考え始めたが、十も数えぬうちに人差し指を立てた。
煉々れんれんでいいだろう」
「よくねえ」
安直にも程がある命名を即座に却下する煉骨である。面倒になって適当に付けたに違いない。
名前くらい自分で決めようと彼は真剣な顔つきで熟考し、やがてよしと拳を握った。
朱煉しゅれんだ。朱煉にする」
「さほど変わっていない」
「大いに違うだろ」
少し前を歩きながら二人のやり取りをれたように振り返っていた翔馬が、人垣の先に見えてきた城門を指さしてかした。
「は、早く行きましょう、襲さん、煉々さん」
「朱煉だ。二度と間違えんな」
館の門まで残り半町ほどに達したところで三人は一度足を止める。人間二人はそこで待つよう指示を受けた。
「俺が先に行って繋ぎを付けてくる」
それだけ言い単身で門前へと歩んでいく襲の背を、煉骨はいまいち不安を拭えぬまま見送る。
あの不愛想で繋ぎなど付けられるのか。逆効果ではないのか。今からでも引き止めて、少なくとも見た目は僧侶にふんしている自分が代わりに行った方が数倍ましではなかろうか。
そんな思いを抱きつつ窺っていると、門前の見張りに声が届くあたりまで近づいたところで、突如襲は片手を頭上に振りながら声を張り上げた。
「おやおや! そこにおられるのは木ノ下きのした殿ですね!」
いきなり声を掛けられた見張りの一人が驚いてこちらを見、すぐにぱっと顔を輝かせた。
「おおっ、どなたかと思えば、襲殿ではないですか!」
襲は見る者を根こそぎ虜にしかねない鮮やかな笑顔で軽快に歩み寄ると、嫌味にならない程度の丁寧な所作で辞儀をしながら挨拶を交わした。
「どうもご無沙汰しております、ご健勝のようで何より」
「そちらもお変わり無さそうですね。上様が首を長くして待っておられましたよ、次はいついらっしゃるのかと」
襲は顔の前で手を打ち合わせ詫びの姿勢を取る。
「ああっ、それは失礼しました。何分あっちこっち気のままにふらついているもので」
「いえいえ、お忙しい身でしょう、無理もない」
大層親しげに肩を揺らして門番と談笑する様を見ていた翔馬が、呆気にとられた風情で呟く。
「人が…変わってません……?」
煉骨もまた、口の端をひくひくと痙攣させていた。
「こ、ここで仕事したことがあるってのは本当みてえだな……」
無表情と無感動が定着しているのですっかり忘れていたが、そういえば初めて会った時にもあの男は愛想よく笑んでいたような気がする。正体が知れて以降は一切笑いかけられていないが。
(いや、それもそうだが)
下っ端一人に至るまで名前を把握しているのだとすると、もはや抜け目無いを通り越してうすら寒い。
挨拶を一通り済ませこちらを振り返った襲に手招かれる。二人はやり場のない戸惑いを抱えたまま彼のもとへ小走りで向かった。
襲は門番に煉骨扮する朱煉僧侶を紹介し、さらに翔馬のことは朱煉の付き人と称した。
よほど信頼を得ているのか、突然のおとないにも関わらず木ノ下とかいう門番も、彼から案内を引き継いだ家臣も疑う素振りひとつ見せずに煉骨たちを受け入れた。
「本日は他に来客の予定もありませんし、すぐにお目通り叶いましょう」
そのような言葉とともに客間で待たされる。家臣が退室すると襲は翔馬と煉骨に顔を向けた。三秒前には確かにそこにあったはずの笑みはきれいに消え去り、清々しいまでの無表情に戻っている。
「あとは手筈てはず通りに」
「あ、ああ。……うん」
抑揚の失せた声にぎこちなく応じ、煉骨は複雑な面持ちで襲を見返した。襲の首がわずかに傾く。
「どうした、俺の顔に何か付いているのか」
「何かっつうか……何なんだ、あんた」
言葉の意味を測りかねた襲が聞き返そうとしたその時、煉骨の僧衣の袂がもぞもぞうごめいた。驚いた煉骨が何事かと覗き込めば、いつもの小妖怪たちが三匹、ひょこりと顔を覗かせる。
「は? お前らいつから……」
こいつらは大抵蛮骨相手にちょっかいをかけているので、煉骨にはさほど絡んでこない。それがなぜ。
袖から転がり出た三匹は誇らしげに胸を張った。
「大将に呼ばれたんだ」
「今回は俺たちの力が必要なんだって」
「上手くできたら人間の店で甘味を食わせてくれるんだって」
な! な! と目を輝かせながら念押ししてくる小妖怪たちに、襲は黙然と首肯する。
「仕損じぬようにな。行け」
きゃいきゃいとはしゃいでいた三匹は鴉天狗の一声でびっと短い背筋を正し、素早く物陰に溶け込んで見えなくなった。
蛮骨があれだけ虚仮こけにされているのを見ている煉骨は、この扱いの差は何だろうと考える。妖怪にとっては妖力の差こそ絶対ということか、それとも飴と鞭の使い分けか。
やがて家臣が彼らを呼びに戻り、時を置かず通された奥の間で領主が顔中に喜色を滲ませ訪問者たちを迎え入れた。
「おお、襲よ! 先触れを寄こせば迎えをやったものを!」
恰幅の良い身体を上質な衣で包み目尻眉尻を下げきった白髪の領主は、挨拶ももどかしい様子で真っ先に情報屋へ駆け寄った。
此度こたびは危急の要件にて、事前に御連絡申し上げる間も無く。何卒、無礼をお許し下さい」
襲が折り目正しく礼の姿勢を取ると、領主は「よいよい」と緩んだ笑みを返した。
襲にならって頭を下げつつ、煉骨は視線だけを室内に巡らせる。ここに至るまでに通ってきた廊下の端々に飾られた壺や茶器も、この部屋の内装や調度品の数々も「ここの主は美しいもの、珍かなものに目がありません」と主張してやまない。
これならたかが布きれに三十貫をほいほい出せるのも頷ける。きっと、質素倹約などという言葉は聞いたことすらないに違いない。
「以前、迷子になったのを見つけてもらった好子よしこ好太郎こうたろうも元気にしておるぞ」
情報屋を己の正面に座らせた領主は満悦顔で手元の扇子を開閉した。これまた親骨に家紋と繊細な彫刻が施された値打ちものである。
襲が穏やかな笑みを返した。
「それは何よりです。あの折はお二方とも随分と心細い想いをなされていたご様子でしたので、その後お身体に不調が出ておられぬかと案じておりました」
誰だそれ、と思った煉骨だが、わざわざ口を挟み話の腰を折るのも時間の無駄と判じて受け流す。おそらく、襲が以前受けた仕事とやらに関係しているのだろう。
「して、危急の用とは?」
問われた襲はすっと真面目な面持ちになり、領主に拳一つ分にじり寄って声を低めた。
「……僭越ながら。このような些事を、御多忙なるお館様のお耳に入れるべきか迷ったのですが……やはり御身おんみに何かあってからでは遅いと」
こうしてまかり越した次第、といやに切実な調子で語られ、領主もただならぬものを感じたのか深刻な表情を浮かべる。
「むう。お主が言うのなら相当な事態であろう。申してみよ」
襲が半身を引き、煉骨を示した。
「こちらは妖怪退治のとある界隈では知る人ぞ知る、霊験あらたかと一部で名高い僧侶の朱煉殿です」
「朱煉と申します」
朱煉――もとい煉骨はしかつめらしい態度でかしずく。
「私と朱煉殿はかねてよりの友人でございまして、此度は目的地が同じ方面ということで道行を共にしております。しかし、こちらのご領内に差し掛かりました頃より、何やら不穏なる気配を感じると仰られ……」
「ふむ」
「その出所を探って頂いたところ、あろうことかお館様のご住居たるこちらの邸内である可能性が高いと」
「な、なんと……!?」
驚愕に目を見開く領主に向け、朱煉は重々しく頷いた。
「やはり、こちらの敷地内に足を踏み入れてより悪しき気配が格段に色濃くなったように思われます。これは非常に、非常によろしくない状態。もしも邪気や穢れの類であれば、上様の御身を少しずつむしばんでいる危険も」
打ち合わせ通りの台詞を口にすると、領主はぶるっと身を震わせた。臆病だという前情報の通りである。
「こっ、この屋敷にあるとしたら……どこに」
忙しくあちこちを見回す領主に応じた朱煉は両手を合わせて合掌の姿勢を取り、静かに目蓋を閉じた。
たっぷり五回ほど深呼吸を数え、
「ああ、はっきりとえますぞ。美しく虹の輝きを帯びた、細長い…これは…」
言い終わらぬうちに城主はひっと息を呑み、もたれていた脇息を跳ね上げて後ろに転がりかけた。すかさず襲が支え、耳元に真摯な声を滑り込ませる。
「何かお心当たりが」
領主は早くも歯の根が合わない体たらくで、小刻みに頷いた。
「ああ、ああ、ある。その特徴にぴったり一致する品を、持っておる…!」
すぐさま家人が呼び出され、急ぎ宝物庫からその品を持ってくるよう命じられた。かくして一同の目前に、浅い桐箱きりばこに収められたくだんの布が運び込まれたのである。
「数年前に行商から買い取ったのだ。なんでも、天女の羽衣という触れ込みだったのだが……」
領主とてさすがにその話を頭から信じたわけではなかったが、絹がそう称するに謙遜無いほど見事な出来であることは確かだったため、買い求めたのだという。
領主の許しを得、朱煉は慎重な手つきで桐箱のふたをずらした。その下に畳んで収められた薄絹を目にした翔馬が背後で息を呑む。
薄絹は箱の中では淡い山吹に見えたが、自然光が射しかかると虹色の光沢をさざ波のごとく浮かべて輝いた。手をくぐらせ持ち上げてみれば、驚くほどに重さを感じない。
内心で舌を巻きながら表面上はおくびにも出さず、朱煉は冷静にそれを検める。
「なるほど……この美しさなれば、羽衣というのもあながち間違いではないやもしれませぬ」
あながち間違いではないどころか本当にそうなのだが。あの商人はなかなかに見る目がある。
翔馬の話では、商人に売る頃にはひとりでに浮き上がる事は無くなっていたらしい。確かに、勝手に飛び回る薄気味悪い布であったならばいかに美しくとも売れなかっただろう。
「ですが、どうやらこの絹は人手を渡り歩くうち、よこしまなる力を得てしまったようです。こちらから妖しき気が絶え間なく漏れ出ておりますぞ」
朱煉は鬼気迫る語調で薄絹を睨んだ。
「これは一刻も早く浄化しなければ、御身はもとより、この地一帯に災禍をもたらすおそれが……!」
ひぃ、と領主がすくみ上がる。
「そ、そんなっ……どどどど、どうすれば!?」
「お館様の御承諾さえ頂けましたら、この場で悪しき布きれを調伏してご覧に入れましょう」
領主は一も二も無くすがりついた。
「頼む! 今すぐ退治してくれ!!」
へっぴり腰の領主と控えていた家臣たちをを安全のためと部屋の隅まで連れて行き、襲は朱煉に顔を向ける。
「では煉れ……朱煉殿、お願い致します」
「よろしい。大船に乗ったつもりで任されよ」
朱煉が数珠を巻き付けた両手を組み合わせ、目を閉じた。すうと呼吸を整え、やがてその口から不可思議な呪文が響き始める。もちろん今考えたばかりの出鱈目でたらめで、邪なものに対する効力は毛ほどもありはしない。
はずなのだが、呪文を唱え続ける最中、蓋の開いた桐箱がかたかたと震えだした。
振動は目に見えて激しさを増していき、収められている布――羽衣が突如頭をもたげるかのようにするりと伸び上がった。襲が背後に庇っている領主が「ひゃあ」と叫んですぐ後ろのふすまにぶつかる。
羽衣はさながら蛇の如く身をくねらせ、ふわりと浮き上がると一同の頭上を縦横無尽に飛び回り始めた。
人間たちを掠めて浮遊する羽衣から、きゃきゃきゃ、と子供の笑い声のようなものが幾つも重なって部屋の中にこだまする。
念仏に似た何かを唱えながらその声に耳を傾けた煉骨はなるほどと悟った。姿を消した小妖怪たちが、何らかの方法で浮遊させた羽衣に掴まるか乗るかして笑い声を立てているのだろう。
そうとは知らない領主はすっかり羽衣自体が悪鬼妖魔に変化したと信じ切り、卒倒しかねないほどがちがちに震え上がっていた。朱煉の付き人として斜め後方にいる翔馬も、このような現象を見慣れていないためあんぐりと口を開いている。
(や、俺も決して慣れてるわけじゃ)
心中で己に訂正を入れ、煉骨は演出の一環として念仏を唱える速度を上げてみた。すると羽衣が反応して苦しむかのように身をよじらせる。
のたうつように泳いでいた布の先端が、前触れなく翔馬に狙いを定めた。一直線に突進し、その首もとへぐるりと巻き付き食い込む。ぐえっ、と翔馬の口からひしゃげた呻きが漏れ、固唾かたずをのんで様子を見ていた家臣たちからどよめきが起こった。
「ぐる…っじ、たすけ…!」
翔馬は顔に血を昇らせばしばしと床を叩き転げまわる。
視えないのを良いことに、小妖怪たちが喜々として翔馬の首を締め上げているに違いない。標的がこちらでなくて良かったと、煉骨は心の内で安堵する。
「翔馬! いま助けるぞ!」
手足をばたつかせ藻掻いている翔馬に向け、朱煉が懐から引き抜いた札を構えた。これは襲の扱う霊符を手本に煉骨が模写したもので、いわば効力皆無の紙切れにすぎない。
ここまでの流れは順調だ。及第点どころか満点を付けていい。翔馬の苦しみ方がどことなく冗談ではなさそうなのが気になるが、白熱の演技ということにしておこう。嘘をつけば顔に出る彼にしてはよくやっている。
朱煉は念仏的何かの語調をさらに強め、それらしい区切りに合わせて札を放った。即席でこしらえた札がべしりと翔馬の顔面に貼り付くや、かっと雷のような閃光が室内を走る。
(おお、今のは気持ちいい)
襲がこちらの動きに合わせて適当に演出するという話だったが、こういう事か。
「かっ、襲ぇっ!」
恐怖に耐えきれなくなったものか、領主がべそをかいて情報屋に縋りついた。お前の引っ付いているそいつは妖怪の背筋も凍らせる大妖だぞと教えてやれば、泡を吹いてそのまま天に召されるかもしれない。
襲は領主へ気遣うような視線を返す。
「お館様、朱煉殿にかかれば妖異は必ずや討ち祓われますゆえ、どうか今しばらくお忍び下され。……しかし、これほどに恐ろしき光景は私もついぞ目にしたことがありませぬ」
柳眉が切実にひそめられ、寒気をやり過ごすように身を竦めて袖手しょうしゅの姿勢を取った。
札からほとばしった閃光に弾き飛ばされた羽衣は翔馬の首を離れ、僧侶と睨み合うように中空で静止する。朱煉はびしっと二本指を立てると、何となくそれらしい雰囲気の印を結んで叫んだ。
「悪鬼怨霊化け物退散! ふんぬぬぬぬ……っ! はぁっ!!」
かっと目を見開いた朱煉が放つ裂帛の気合いに合わせ、襲が袖の下で何かしたようだった。宙を舞う羽衣が突如、ぶわっと鮮やかな炎に包まれる。
「ひええええ!」
真っ白な顔色の領主が裏返った悲鳴とともに目の前の襲にしがみついた。あまりに加減なく掴み上げてくるので、襲は受け止めつつもさりげなくその手を解こうとしている。
炎を纏った羽衣は部屋の中をめちゃくちゃに飛び回った。子どものような笑声が苦しみ悶える甲高い叫びに変わっている。
部屋中をじたばたと泳ぎ続けた薄布は、やがて一際激しく光を放ち燃え盛ると跡形も残さず掻き消えた。
「えっ」
「あーっ!?」
まさか焼失するとは思っていなかった朱煉は思わず頓狂な声を上げ、よろよろと身を起こしていた翔馬はこの世の終わりのような顔で絶叫する。
つかのま呆気に取られていたものの、はっと正気に戻った煉骨は急ぎ新たな印を組み「はぁぁっ!」と気合いを入れた。
何かが弾けるような音が鳴り響き、庭に面した障子戸が一斉に開け放たれた。
室内を洗い流すように風が吹き込み床の間の掛け軸がばさりとひるがえる。
誰も声を発せずしんと静まり返った部屋の中、完全に腰を抜かし家臣たちに支えられている領主に向き合った朱煉は合掌とともに深く辞儀をした。
「ご安心召されよ。これにて無事、悪しきものは祓われました」

 

 

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