宿場町の中央に設けられた広場は、少し見ぬ間にひしめき合うほどの人だかりを呈していた。
その人垣めがけ、紋吉もんきちが一直線に駆けていく。
「猿だ!」
驚いた群衆が道を開けるように左右へ割れた。
脇目も振らず紋吉が駆け抜け、その後を追う七人隊の四人もまた、衆目の集まる広場へと躍り込む。
広場を我が物顔で占領していた有象無象の破落戸ごろつきたちが、闖入者の出現にさっと身構えた。
「猿が来やがった!」
「そっちの野郎どもは何だ。てめえらが猿を追い込んだのか」
「ああ?」
状況がわからず、睡骨は怪訝に広場を見回す。昼に焼き魚を食った時とは雰囲気が一変していた。
なぜ破落戸どもがこのような目立つ場所に集結しているのだろう。
「追い込んだっつうか……」
その時、頭上で凶骨が息を飲んだ。
「おいっ、あすこの檻ん中にましらが捕まってるぞ!」
「は?」
狼狽して破落戸の壁の向こうを指差す凶骨に、睡骨は半眼になった。
「なにやってんだあの馬鹿」
視線を下ろすと足元から猿――紋吉が、こちらを真っ直ぐに見上げていた。その眼差しが何かを訴えんとしている。
「そういうことかよ」
なんとなく察し、億劫だとばかり嘆息する。
猿に顎で使われる羽目にまでなるとは。さりとて、見捨てるわけにもいくまい。
「おい、あんたらが探してんのは猿じゃなかったのか。檻に入ってんなぁ猿に似ちゃいるが、人間に見えるぜ」
「こいつは猿をおびき出す餌さ。どの道、こいつにも落とし前を付けさせるつもりだったしな。すぐに、猿の方がよっぽどましだと思える見てくれになるだろうぜ」
答えた破落戸たちがげらげらと笑う。
この様子では、無傷でましらを解放する気は毛ほども無いだろう。紋吉もろとも叩き殺すか、再起できぬほどに甚振いたぶるつもりなのだ。
「ぎしっ、助けねえと!」
はやる銀骨たちへ告げる。
「おう、わかってんだろうが殺しは無しだぜ」
「へいへい」
ぞんざいに返したのは蛇骨である。銀骨と凶骨もまたこくこくとうなずく。
七人隊としての活動中は、私的な殺しを控えるべし。
これもまた、数少ない取り決めの一つである。
私情で無闇やたらと殺し回る傭兵など、雇いたがる客はいない。衆目があればなおさら、どのような悪評が尾鰭おひれをつけて泳ぎ回ることか。そこそこ名の売れてきた七人隊の座を狙い、足を引っ張ろうとする同業者など幾らでもいる。
――面倒だ。
このような場面において、睡骨は組織に属して生きる窮屈さをほとほと痛感するのだった。
七人隊という肩書きさえなければ、誰が死のうが怪我をしようが、構わず好き勝手に暴れられるというのに。それが、体面だの評判だのを気にせねばならない。
際限なくこぼれそうになる溜め息を呑み込んだ。
すでに隊の金を溶かす重罪を犯した身としては、これ以上兄貴分の気を損ねる要因を増やしたくはない。
しかし現実問題として、ましらの捕らえられた檻は破落戸らによって幾重にも取り囲まれている。死人を出さず、いかに突破したものか。
「正面からはきついな」
「なら上からで良いんじゃね」
蛇骨が片足を凶骨の右手親指にかけた。顎で軽く上を示すと、凶骨は意図を察する。それを認めた睡骨もまた、彼の言わんとする事に見当がついた。
「ああ。そいつが手っ取り早いか」
睡骨が身を低めて呟くと同時、凶骨が勢いよく親指を真上に弾き上げる。
足を乗せていた蛇骨はその衝撃を利用して天高く跳躍した。
そして空中で前方に一回転し、
「あらよっと!」
勢いを乗せて蛇骨刀を振り下ろした。
陽光に白く光る銀閃が、獲物に飛びかかる蛇のごとき素早さで破落戸たちの頭上を渡る。
「おお」
軽業の披露とでも思ったものか、聴衆がわっと沸いた。
「何だありゃ!」
見たことのない得物に度肝を抜かれた破落戸たちは、次いで背後から生じた大きな破壊音に振り向いた。彼らが目にしたのは、殺到した蛇骨刀によって真っ二つに破壊された竹檻がぱかりと左右に崩れ落ちる光景だった。
「あっ!?」
「何しやがる!」
唾を飛ばして叫ぶ男たちの前に、その刹那、大柄な隈取くまどり男がひらりと着地した。
蛇骨刀がくり出され、すべての視線が蛇骨に釘付けとなったその時を見計らい、睡骨は銀骨の砲筒を足場に駆けて男たちの頭上を難なく飛び越えてきたのである。
「てめえ、何のつもりだ」
とりわけ偉そうな大男が凄んでくるのを無視して、睡骨は大きくかしいだ竹檻を乱暴に蹴飛ばし、ずいと中を覗き込んだ。
崩れた竹檻の中で、縛られて横たわっているましらが口をぱくぱくさせてこちらを見上げていた。
「おっ……さん…?」
睡骨は心底面倒くさそうな表情になり、身を屈めてましらを拘束する縄に鉤爪をかけた。力を込めればぶちぶちと音を立てて千切れていく。
「おい手前、勝手な真似を――」
「おら、阿保ヅラさらしてる暇がありゃ、さっさと立ちやがれ」
ぶっきらぼうな言を受け、ましらはよろめきながらも立ち上がった。手ひどく打たれたのか、腕や足に青痣ができている。睡骨の口が横一文字を描く。
「ど、どういうことだ……? どうしておっさんたちと紋吉が、一緒に」
「説明は後だ。こいつらぶちのめすにしろ、ずらかるにしろ、もたもた話してる時間はねえ」
群れる三下どもを強引に飛び越えてきたため、今は逆に取り囲まれた状態である。この後どうやって脱出するか、特に考えていない。
睡骨には破落戸とやり合うさしたる理由もないが、せっかく捕らえた猿回しを奪われた向こうからすれば、完全に喧嘩を売られた形だ。見逃してはくれぬだろう。
さて、どうしたものか。
蛇骨がもう一度得物を振るったところで、次は不意打ちにならない。むしろ、頭に血が上った破落戸が向かってくれば、加減のしにくいあの武器では死人を出す可能性もある。
ならば凶骨か銀骨あたりに突撃させるか。あの巨体が迫って来れば、さしもの無頼どもも道を開けざるを得ないだろう。その隙にましらを担いで走り抜けるのがいちばん簡単そうだ。
そう判じ、睡骨が男たちの垣根の向こうにいる仲間へ向けて口を開きかけた時。
「どうだ? 猿は現れたか?」
緊迫した空気にそぐわぬのんびりとした声が割り込んだ。
声の主はけばけばしいほどにきらびやかな羽織をひるがえし、泥など踏んだこともなさそうな艶やかな下駄を高らかに響かせて登場した。
睡骨の隣でましらが
「わ、若旦那」
と硬い声で呟く。
あれが。
「そ、それがですね若旦那。ちょいとばかし想定外の邪魔が」
親分格の大男が言い終わらぬうちに若旦那が猿のような悲鳴を上げた。
「檻が壊れてるではないか!」
子供が逃げ出すほどの悪人面をした破落戸をあからさまに見下し、烈火のごとく怒鳴りつける。
「即急で作らせたから高くついたというのに! それを貴様ら――」
「あんたが小便たれの馬鹿旦那ばかだんなか」
今度は睡骨が割り込んでやった。若者がくわりと振り向く。
「だれが馬鹿旦那だっ! それに小便を垂れたのは私ではない!」
「いい歳こいてぎゃあぎゃあわめくな。たかが猿公におべべ汚されたくれえで大騒ぎしやがって、おかげでこちとら朝からえれえ目に遭ってんだ」
「貴様に何がわかる! というか誰だこいつ!?」
睡骨をびしりと指差し、親分格に向かって鋭く問う。
「こいつの一味が猿と一緒に現れたと思ったら、いきなり檻を壊しやがった上に猿回しの小僧を奪おうとしてやがんでさ。そんなこいつはええと……誰だ?」
首をひねる頭目に数人の三下が声を上げた。
「親分、こいつぁ昨日、賭場にいた野郎ですぜ」
「そうだ、しこたま飲んでべろんべろんになって」
「引くほど負けてた」
「だああうるせえ、それはいま関係ねえだろ!」
睡骨は腕を振り上げて怒号した。ましらはそんな睡骨を、なんとも言いがたい哀れみの目で見上げている。
「おう素寒貧すかんぴん。そんじゃ何か、手前てめえは負けた腹いせに俺たちに楯突いてやがんのか」
そういうわけではない。しかし「金欲しさであれこれした結果こうなった」と答えるのも格好がつかぬ。黙秘権を行使する睡骨が肯定したと捉えたのか、若旦那がふんぞり返って笑った。
「はははっ、そういうことか!」
ひとしきり哄笑すると、一転して汚物を見るような目で「これだから貧乏人は」と吐き捨てる。
「お恵みが欲しいのなら、地面に額を擦り付けて草履のひとつも舐めてみせよ」
ぐるりを取り囲む破落戸がどっと笑い出した。野太い大音声が空気を叩く。
「…………おっさん?」
黙り込んでしまった睡骨に、ましらがおずおずと呼びかけた。
それが耳に入っているのか否か。睡骨は静かに顔を上げると、すたすたと歩き出した。
彼の全身から放たれる有無を言わさぬ空気に、男たちはにやつきながらも無意識に道を開けていく。睡骨の足はまっすぐに若旦那のもとへ向かう。
嘲笑の波は徐々に収まり、睡骨が若旦那の元へ到達する頃には、辺りは静まり返っていた。
真正面に立った睡骨を、若旦那はわずかにたじろぎながらもきつく睨み上げた。
「な、なんだ。いかに立ち回るのが利口か、猿並みの頭でも理解できたか? ならさっさと――」
言葉は鈍い衝撃音で途切れた。
若旦那の肢体が宙に飛ぶ。それはそれは見事な弧を描いて、仰向けに跳ね上がる。やけにゆっくりと流れたその刹那を、全員がぽかんと口を開けて見送った。
若者の体が地面に落ちるどしゃりという音で、全員が現実に引き戻された。
「若旦那ぁ!」
誰かの叫び声が空をつんざく。
さざ波のように生まれた喧騒は、すぐに濁流のごとき阿鼻叫喚の渦を巻き起こした。
「若旦那! 若旦那、しっかり!」
「野郎、やりやがった!」
「若旦那、死んじまったのか?」
四方八方、てんでんばらばらに声が飛び交う。
「おおおおっさん、なん、なんてことを」
「ああ? あんまりクソ生意気だから軽く殴ってやっただけじゃねえか」
真っ青になってわなわな震えるましらに睡骨は平然と返す。
「で、でも、気絶しちゃってるよ。さすがにまずいって!」
「気絶だぁ? あの程度で大袈裟な」
片眉を吊り上げて若旦那を見やる。するとましらの言う通り、顎下から殴り上げられた若者は地面に伸びたまま、一向に起き上がる気配がない。
若旦那の周囲に破落戸どもがわらわらと詰めかけた。子分の一人が頬をべちべちと叩き、とりあえず失神しているだけだと確認して頭上に大きな丸印を作った。
親分の血走った目が睡骨を射抜く。
「よくもうちのお得意様に手ぇ出しやがったな」
「知るかよ。そんな大事ならつきっきりでおりしとけ」
両者の険悪な眼光がぶつかる。不可視の導火線がじりじりとくすぶる。
ましらがぐいと睡骨の袖を引っ張った。
「火に油を注ぐなよ! こんな大勢に勝てっこない、逃げようおっさん」
虚仮こけにされたまま引き下がれるかよ。誰に喧嘩売ってんのかわからせてやる」
あつらえ向きに鬱憤も溜まりに溜まっているところだ。
左の手の平で右拳を握り込み、ぼきぼきと不穏な音を立てる。ついでに首も左右へこきこきとほぐしつつ、無頼どもの壁の向こうにいるであろう仲間に声を投げた。
「おい、お前らも見てねえで少しゃ手伝いやがれ」
敵は鼻くそ同然の有象無象とはいえ、いささか数が多い。
しかし、
「えぇ、殴り合いとか無理。そんな泥くせえの好みじゃねえ」
「下手に動いて踏み潰しちまったら、兄貴たちに叱られちまう」
「ぎ……俺、無力」
蛇骨、凶骨、銀骨の三人は加勢するどころか、先よりも距離をとって遠巻きに眺めるばかりだった。
睡骨は大きく舌打ちして目を据わらせる。
「使えねえ連中だ」
もういい。
「おうましら、てめえは邪魔だ。余計な動きしねえで後ろに引っ込んでろ」
「う、うん」
ましらは素直に引き下がった。しかし彼の表情には、こんな大勢を相手に戦えるわけがないという不安がありありと浮いている。
睡骨と少年を取り囲むいかつい男たち。その円の外から見ているだけの蛇骨たち。そしてそのさらに外周を取り囲んで見物する宿場客。
今や、宿場にいる人間の半数が集っているのではと思われる広場の中央。
睡骨は、破落戸以上に物騒な悪人面でにやりと口端を引き上げた。
「素手の喧嘩は久々だ。かかってきな」


「本当に加勢しなくて大丈夫か、俺ら」
戦場さながらに怒号が飛び交う広場の一角。
気後れした風情の凶骨が、銀骨の上でくつろいでいる蛇骨へ問いかけた。
ありの大群のようにわらわらと入り乱れる破落戸の海からは、時おり人が宙へと跳ね上がる。
かかってくる無頼どもを睡骨が次々と殴り上げ、背負い投げ、蹴り飛ばしているのだ。
しょせん徒党を組まねば威張ることもできぬ破落戸とは踏んできた場数が違う。彼が苦戦している気配はない。
だが、まともに飯を食えていない上、素手で加減しながらあの人数を相手にするのはやはり骨が折れるのではなかろうか。少なくとも、ましらだけでもこっちに退避させられたら、楽に動けるだろう。
銀骨の上に寝そべり微睡まどろんでいた蛇骨は、むにゃ、と顔をしかめると懐に手を入れて脇腹を掻いた。
「だから、俺はああいう芋くせえ喧嘩はやらねえんだって。斬り込み隊長であって、殴り込み隊長じゃねぇんだよ」
凶骨は頬を掻いた。
その「斬り込み隊長」というのはあくまで蛇骨の自称である。別にここで改称しても問題ないのでは、と頭の隅で思う。
「やっぱり俺も行った方が……」
蛇骨はのそりと片足を上げると、凶骨の腕をげしげしと蹴りつけた。
「ばーか。軽く手ぇ払っただけで仏こさえるてめぇが行ったところで、状況が悪くなるだけだっつの」
「……そうかもしれねえけど」
「やばそうな時ぁ、こっから蛇骨刀一振りすりゃ十分届く。それまで傍観傍観」
蛇骨はあしらうように手を払って寝返りを打つ。戦況に背を向けては傍観にすらならないのだが。
「銀骨、なに描いてんだ」
寝返った先で銀骨が小枝で地面に何か線を引いているのを認め、蛇骨が薄目で問いかけた。
「ぎし、煉骨の兄貴の似顔絵」

次ページ>