「ふぁーっ、こんなたらふく食ったの、初めてだぁ」
陽も傾いた帰路。小妖怪三匹ははくちくなった腹を幸せそうに抱え、とてとてと地面を歩いている。いつもなら肩に乗るものを、彼らなりに気を使っているのだろうか。朔夜は微笑ましく彼らを眺めながら、その数歩後ろを行く。
「ごちそうさまでした、襲さん」
「ああ。……楽しめたか?」
無表情に戻った襲に確認され、朔夜と小妖怪は満面の笑顔で首を大きく縦に振った。
「大将って、いつもあんなに食うのか?」
「そんなわけないだろう。食おうと思えば食えるだけで、普段はあれの一品分もあれば十分だ」
となるとやはり、小妖怪たちが駄々をこねさえしなければ、あれほどの量を注文することもなかったのだ。
いたたまれなくなった様子の一角が少しばかり裏返った声で無理やり話を変えた。
「か、帰ったらもう、遊んで寝るだけだな! 朔夜」
振り仰いでくる一角に、朔夜は小さく首を振る。
「そういうわけにもいかないわ。まだ洗濯物を取り込んでいないもの」
乾いた洗濯物はきれいに畳み、蒼空に託して七人隊の元へ届けてもらう。大の男七人分の洗い物となると、かなりの量だ。
「そろそろ包帯も足りなくなりそうだし。着れなくなった衣をいくつか裁断しないと」
「そんなの、俺たちがぱぱっとやっちまうよ」
短い腕で力こぶを作ろうとする三匹に破顔する。
「ありがとう。なら、取り込みの方をお願いしようかしら。刃物を使うのは危ないから」
「おう、任しとけ!」
「できる分で大丈夫よ、無理はしないで」
「なあなあ、料理が冷めちまう前に、はやく蒼空の親分に食わせてやろうぜ」
舜が二本足で立ち上がり、襲が片手に提げている風呂敷へ前足をかけた。飯屋に追加注文して用意してもらった、蒼空への手土産が入っているのだ。
小丸と一角も賛成する。
「急いで帰ろう」
往来で白狼を呼び出すわけにもいかない。塀で囲まれている屋敷に戻らなければ。
ぱたぱたと急かす三匹に、朔夜は少し困った顔をする。
「私、お腹がいっぱいでちょっと走れそうにないわ。みんな、先に行ってちょうだい」
「そうかぁ」
「腹が痛くなったら大変だしな……。じゃあ、朔夜はゆっくり歩いてこいよ」
「よし大将、土産をよこせ! 俺たちで持っていく」
小丸が両手を襲に突き出す。要求されるまま渡しかけた襲だが、その手が途中で止まった。
「お前たちが運ぶと、なかなか奇異な光景になるぞ」
今の小妖怪たちは徒人には視認できぬ状態だが、風呂敷包みは普通に見える。彼らが頭にでも載せて運んだ場合、多くの通行人らに、風呂敷包みだけが宙をふよふよ漂う怪奇現象を目撃させることになってしまう。
「うへぇ、そんなことも気にしなきゃ駄目なんだ」
「これは鳥に運ばせる。先に屋敷へ行って、蒼空を呼んでおけ」
「よし、頼んだぜ大将!」
「屋敷まで競争だ!」
言うが早いか、小妖怪たちはきゃいきゃいと飛び跳ねながら、猛然と駆けていってしまった。
その背を見送る襲がぼそりと呟く。
「満腹と言いながら、よくあれほど動けるものだ」
「ふふ。あの子たちといると、賑やかで飽きませんね」
襲も共に屋敷へ戻れと言わぬあたり、娘を往来に一人残すものではないという事は理解しているのだろう。
襲がついと右手を掲げる。と、そこにどこからか一羽の鷲が舞い降りてきた。
土産の入った風呂敷を示せば、心得たとばかりその結び目をしっかり掴んで再び飛んでいく。
朔夜は無言のもとに行われたその一連を、感嘆の眼差しで眺めていた。鴉天狗はあらゆる鳥類を使役できると聞いていたが、本当にそうなのだ。
「蒼空、きっとすごく喜んでくれるわ」
みるみる離れていく鳥影を見上げながら再び歩き出そうとした朔夜だが、
「朔夜」
襲に呼び止められ、肩越しに振り向いた。
「はい?」
「少し、話をしないか」
大通りを外れた襲と朔夜は、緩やかな斜面の草地に並んで腰を下ろした。
斜面の先にはせせらぎが流れ、涼しげな水音が規則正しく繰り返されている。
昼は人々が思い思いに憩っていたり子供らが小川に足をつけて遊んでいる場所だが、夕刻ということもあり、二人の他に人影は見られなかった。西陽が川面に反射し、黄金の光をちらちらと瞬かせている。
「疲れていないか」
襲の第一声に、朔夜はぽかんとしてしまった。
「えっ?」
「いらぬ気遣いをさせてしまっただろう」
まさかそんな事を言われるとは思いもしなかった。
朔夜が大量の料理に一喜一憂していたことなど、お見通しだったらしい。
「そんな、私が勝手に気を揉んでいただけで」
そして結局、杞憂に終わった。襲が宣言した通り料理は完食され、兄妹という設定も、最後まで疑われることはなかった。
「襲さんのおかげで、変に勘繰られず済みました」
「大したことはしていない。――しかし、兄と呼ばれるのはああいう気分なのだな。何年生きても、知らぬことばかりだ」
「ごっこ遊びみたいでちょっと楽しかったですね。襲さんのこともたくさん知ることができて良かったです」
人の姿をした鴉天狗の首がわずかに傾く。
「俺のことをか」
「今まで、あまりゆっくりお話しできてなかったから。実を言うと、雲の上の人みたいに思ってたんです」
物静かで、達観していて、何事にも動じない。朔夜たちのような若輩の人間たちの営みなど、大妖たる鴉天狗からすればほんの些事で、手すさび程度にしか認識されていないのではないか。
何となくそんな印象を抱いていたのだが、話してみれば存外に人間の機微をよく見ているし、親身に考えてくれていた。
もちろん妖怪と人間であるからには、大なり小なりのずれは避けられない。しかし、襲の方からそのずれを埋めようと歩み寄ってくれている。
そんな気がした。
「意外と突拍子もない事をされるんだなとか、食べ方がきれいな事とか」
今日の発見を指折り数えていく。
「あと、笑顔がとても素敵です」
世辞ではなく心からそう思ったのだが、襲はどこか後ろ暗いところでもあるかのように顔を背けた。
「所詮は紛いものだ。褒められるようなものではない」
壊れているから自然な表情が現れないと、彼はそう言っていた。妖力で無理やり捻じ曲げて、ふさわしい表情を作っているのだと。
「紛いものだとしても、たくさん練習されたんでしょう?」
ぴくりと瞼が反応する。
「襲さんがご主人の料理に対する熱意を感じ取られたのと同じで、私も何となくわかりましたよ。きっとすごく努力して、できるようになったんだろうなって。演技ではあっても、嘘ではないんだって」
人間に成りすまし、作りものの表情で上辺を飾った襲から出る言葉は、どれも優しいものだった。誰かを謀ったり貶める目的で身に付けた技なら、きっとああはならない。
本来できないことを成そうとする。たとえ妖力に頼らざるを得ないとしても、それが諦めなかった結果なら恥じる必要などどこにもない。
「人間が怖がらないように、そうしてくれているんですね」
襲が顔を作るのは、人間を相手にする時だけなのだと思う。小妖怪たちに恐れられていた時でさえ、優しい表情で手懐けようとはしなかった。それに対し、初めて七人隊と出合った際は、親しみやすい笑みを浮かべていたという。
襲は朔夜の方を見ぬまま、口を開いた。
「騙されているとは思わないのか。例えば……そう、俺の力を目当てに近付く輩と同じことを、当の俺がしているとは」
「え? 思いませんけど」
即答すると瞳がちらりとだけこちらを見る。
「なぜ」
「なぜって、だって違うでしょう? 人間を騙して益があるならまだしも、便利に呼び出されたり食事を奢ったり勘定を多く払ったり、今のところ襲さんに損なことしかないじゃないですか」
「……」
天狗は押し黙った。確かにそうだと自覚して、複雑な気分になっているのかもしれない。
川面を滑る風が草を揺らして斜面を上ってくる。どこか遠くから豆腐売りの声が聞こえる。
「最初は、表情など無くても困らぬと思っていた」
横目で窺えば、襲の瞳は遠くを見ていた。ふと、鴉天狗は相当に目がよく、肉眼ではるか遠くまで見えるんだぞと小妖怪たちに聞いたことがあるのを思い出した。
「妖力で細工するようになったのも、必要に迫られたからだ。当時は全くできなくてな、とても見れたものではなかった」
「そう言われると、すごく見てみたいですね」
鏡か何かを前に練習を繰り返す姿を想像してみると、健気さと微笑ましさに口元が緩んでしまう。本人にとっては、とても切実な問題だったのだろうけれど。
「あまりにできないものだから、鴉に化けて一日中人間を観察していた。笑う時はどの筋に力が入るのか、声色はどう変わるのか。体温、拍動、仕草。頭では理解したつもりでも、いざやってみると何一つ上手くいかない。どうして皆が複数の事を同時に、それも意識せずこなせるのか、不思議だった」
何でもそつなくやってのける襲にも、そのような苦労の時代があったとは。「何事も素地は必要」と小妖怪たちに諭していた言葉の通り、地道な努力の積み重ねを経て、現在のあの美しい笑みがあるのだろう。
強い力を持つ妖怪でも、最初からすべて意のままとはいかないらしい。
「その『必要に迫られた』というのも、人間に関わることで?」
「ああ。どうしても、笑えなくては駄目だった。いや――駄目だと、当時は思っていた」
遠い遠い過去の話なのだろう。数える気にもならぬほど、遠い。
「昔から、人間を助けてくださってたんですね」
「……そんな大層なものではないさ。せいぜい、放浪がてら困っている者へ手を貸していた程度だ。ここ三十年ほどはどこも戦の気配が増し続けているのもあって、無用な争いを避ける意味でも人里を避けてきたしな」
七人隊に出合っていなければ――否、蛮骨に「人間ではない」と看破されていなければ、今でもそれは変わらなかっただろうと、立てた片膝に腕を置く。
「変化が不得手なのは認めるが、まさか霊力を持たぬ徒人に、あのように見破られるとは。俺も随分、焼きが回っているのかもしれん」
「蛮骨、そういう勘が妙に冴えてる時がありますから」
「戦場に身を置く分、己を害し得るものを察知する能に長けているのだろう」
そう語る襲の双眸は遠くを見ている。視線を辿れば、川のはるか向こうに広がる田の畦道を、手を繋いだ母子が影を伸ばして歩いていた。
朔夜もぼんやりとその二人を眺めた。道の先から小さい影がさらに二つ駆けてきて、四つの影は母の影を中心にひとつになる。
どこにでもある光景。明日には無いかもしれない光景。
「人間と、仲良くなりたいですか」
ぽろりと口をついて出た言葉に、朔夜は自分でぎょっとした。なぜそんな問いが飛び出したのか、わからなかった。
そろそろと反応を窺う。しばらく無言だった襲が、何度か瞬いてから黒い瞳だけをこちらに向けたので、朔夜は煙を散らすように両手を振った。
「えと、なんでもないです! 忘れてください、ちょっと私、おかしな事を――」
「そう見えるか」
う、と詰まる。どうやら取り消せそうにない。
朔夜は頭の中を整理しながら、一つずつ言葉を紡いだ。
「見える……というか、襲さんほどの大妖が、人間に優しくして下さるのはなぜだろうと、思って」
まるで「理由もないのに優しくするのはおかしい」とでも言っているかのようだ。そんなつもりはないのだが、他の表現が思いつかずに歯痒さを感じる。
本来、人間と鴉天狗は住む世界が違う。
隼の凪を助け、それを送り届けた縁があったにしろ、それきり二度と会わぬ選択もあったはず。なのに、襲はこうして足繁く七人隊や朔夜のもとへ顔を出すようになり、あれこれと便利に利用されることをも受け入れている。加えて、情報を仕入れるために諸所の人間たちとも繋がりを築いているらしい。
これまで人里を避けていたのに。不得手だという変化をしてまで。
「私たちはすごく助かってますけど、返せるお礼なんて微々たるものだと思うんです。それなのに、助けてくださるのは……」
情報料として七人隊から金銭を受け取っているとはいえ、金稼ぎがしたいわけでもなさそうだ。事実、今日のように他人のために躊躇いなく散財してしまうのだから。
襲は考えるように少しだけ顔を俯けている。
数呼吸の後に、
「理由を付けるとしたら……報いるため、というのが、一番近いだろうか」
と、独り言のような声量で呟いた。
「報いる……?」
何だかんだで「気まぐれ」や「暇つぶし」という答えが返るのではと予想していた朔夜は、わずかに目を瞠った。
「初めて七人隊に会って」
襲が続ける。
「蛇骨に『また来い』と言われたとき、無理だと思った。あれが良くても、蛮骨や他の皆は、正体が鴉天狗と知れた俺を受け入れるわけがないと」
しかしそうではなかった。
多少の緊張感を残しながらも、蛮骨は了承してくれた。
「あの時、本当に、久しぶりに……」
その先に言葉は続かなかったが、朔夜は小さく相槌を打った。
襲の顔が上がり、朔夜を見やる。声が聞き取りやすくなる。
「これまで何度か、人間に救われた事があるんだ」
「え……、襲さんが、人間に、ですか?」
意外な言葉に、朔夜は確認するように繰り返す。この男に助けが必要になるなど、どんな場面なのだろう。
襲が「そうだ」と肯定する。
「彼らに大切なことを教えてもらった。それが無ければ無知蒙昧で傲慢な、小丸たちが恐れていたとおりの鴉天狗になっていたかもしれない」
襲の話から子細までは読み取れない。
しかし、彼にとってそれだけの変革を生む出来事が、過去にあったのだ。
「報いる」とはつまり、恩返しということか。
朔夜は小さく息を詰めた。
襲を救ってくれたその人たちは、おそらくとうに亡くなっている。
だから特定の誰かではなく、『人間』に恩を返す。
それは途方もなく、終わりもない海原を行くような、長い旅を彷彿とさせた。
「だから、俺にとって利が無くとも、感謝されないとしても、構わない。所詮、俺の自己満足なのだからな」
朔夜は唇を軽く噛んだ。
まず損得を物差しにした自分が恥ずかしい。
この人は人間が好きなのだ。
好きなのに、仲良くなることが目的ではなくて。
好かれることを期待していなくて。
感謝すら、求めていない。
ただ、己が受けた恩に報いることだけ、考えて。
なんだか、そんなのは。
襲が長めに息をついて、姿勢を崩した。
「……もっとも、七人隊に関しては、そんな理由は二の次だがな。単に危なっかしくて目を離せんだけだ。あれらはどうも厄介ごとに好まれるらしい」
「それは確かに」
朔夜は苦笑とともに心から同意した。
みやげ話や文で断片的に知らされる内容だけでも、作り話ではないかと錯覚しそうになるほど、七人隊の旅路は奇談だらけだ。
おそらく、話で聞く以上の危険な目にも遭っているのだろう。
後日談として語られる分には面白いが、同時に、そんな事態に巻き込まれながらよく無事でいてくれたものだと、毎度ひそかに肝を冷やしている朔夜である。
「襲さんがいなかったら、もう何度か死んでいたかも」
「その言葉が冗談で済んでいるのだから、あれらは果報者だ」
「ふふ、本当ですね」
気付けば、夕日が半分以上山の陰に隠れていた。
蒼空はもう土産の料理を食べ終えただろうか。小妖怪たちは洗濯物をうまく取り込めただろうか。
少し気になるが、たまにはこうしてのんびりと夕空の移ろいを眺めて過ごすのも悪くない。
虫の声を聞き、茜に染まった空を流れる雲をぼんやり見上げていると
「ひとつ、頼みがある」
おもむろに襲が呟いた。首を巡らせ、そちらを見る。
遠くを見ていた鴉天狗の視線が、ついと地面に落ちる。
「俺がいることで何か……迷惑を被ることがあれば、すぐに言ってほしい」
冷めた風が雑音を攫った。
黄昏の静寂に、低い声が響く。
「本来、俺はお前たちの人生に不要な存在だ。いかに綺麗事を並べたところで、妖怪と人間など関わらぬに越したことはない」
漆黒の双眸ががわずかに細められたのは、夕日の眩しさゆえか。
「俺を気遣って繋がりを断てずにいるのなら、それは互いの為にならない。言ってくれれば、いつでもいなくなる」
しばし、風にさやぐ葉音だけが聞こえていた。
朔夜は襲の言葉を繰り返し反芻する。
淡々とした声音。突き放すようにすら聞こえる言葉。むしろ、今すぐ繋がりを断つべきだとすら、言われているような。
咀嚼して飲み込むごとに、胸が苦しくなった。
動かない面の下で、本当はどんな表情をしているのか推し量ってやりたいのに、そんなことを願わなければいけない心中など、自分には想像もつかない。
「……頼みと仰るのなら、わかりました」
なんとか絞りだした声が、震えないようにするだけで精一杯だった。
息を吐き出し、吸い込む。
「だから――頼んでもないのに、黙っていなくなるのは無しですよ」
襲が静かにこちらを向き、朔夜も横目で見返した。
「あの子たちがとても淋しがるだろうし、七人隊だって困ります。襲さんを頼れる状態に、すっかり慣れてしまってるから」
「それと」と朔夜は心持ち頬を膨らませ、半眼で睨めつけた。
「お言葉ですけど、私の友だちに不要な人なんていません」
むくれた声でそう付け加えると、襲は珍しく虚を衝かれた風情だった。それすら、ようやく読み取れるようになった微細な変化だ。
何かよくわからないものに無性にいらいらしてきて、朔夜は手元にあった草を掴んだ。できればそれを千切って襲に投げつけてやりたいくらいだったが、さすがに踏み止まる。
もう一度深く息を吸い込むと、青い香りが肺に満ちた。鴉天狗と正面から目を合わせる。
「私たち、もう友だちなんですから。迷惑くらいかけ合ったっていいじゃないですか。わざわざお願いされなくたって、思うことがあれば蛮骨たちははっきり言います。襲さん相手だからって遠慮する人たちだと思いますか?」
半ばまくし立てるように言い募ってやると、せっかく落ち着けた息がまた上がってしまった。
「……」
襲はただ、黙然と朔夜を見つめて、朔夜の言葉を受け止めていた。
その目元が、ややあってほんの微かに和らぐ。
「……そう、だな。確かに」
面の無い鴉天狗は、夕日の作る陰影の中で嬉しげにも、淋しげにも見えた。
朔夜の指から力が抜けた。握った手をゆっくり開き、まだ掴んでいた草から手を放す。
「じゃ、友だちなので。私からもひとつお願いを」
声の調子を上げた朔夜を、襲は再びじっと見据えた。
「なんだ」
「蛮骨をよろしくお願いしますね」
襲の首が微妙に傾く。今さら改まって、と言いたげだ。
「彼、襲さん相手だとずいぶん子供っぽくなるでしょう?」
「ああ、気付いていたか」
ええ、と頷くと同時に淡く微笑む。おそらく自覚していないのは当人くらいだ。
「七人隊のみんなも年上だけれど……やっぱり立場があるから、なかなか年下らしい振る舞いはできないみたいで」
必要であれば仲間にも年長としての意見を求めたり、その助言を容れたりもする。しかし「兄貴」と「弟分」の立ち位置が逆転するほどの頼り方をするわけにはいかない。
そんな彼にとって、仲間でも依頼人でもなく、上下関係にも囚われない。さらには張り合う気にもならぬほどの年長者――というのは、とても貴重な存在だ。
「ああ見えて、抱え込みがちな所があるんです。……ちょっとしんどそうだったら、それとなくそばにいてあげてもらえませんか」
本当は自分がその役を負えれば、いちばん良いのだけれど。
知らぬところでこんな手回しをされるのは、蛮骨からすれば面白くないだろう。しかし、相手が人外の襲だからこそ、朔夜は正直なところを告げることにした。
「お前たちは――」
言いかけた鴉天狗は言葉を切り、
「いや、わかった」
手短にそれだけを返した。
「え、なんですか」
何を引っ込められたのか気になって眉を顰めるが、襲に答える気はないらしく、静かな動作で立ち上がった。
「風が冷えてきたな。帰ろうか」