隠れ場所を探して走り回っていた天邪鬼は、ひとり本堂の裏側に回り込んだ。
勝手知ったる寺の中、隠れ鬼は初めてするが、どこが見つかりにくいかは見当がつく。
回廊の角を曲がると、そこには思いもよらぬ人物がいた。
蛇骨が、雨の中に突っ立って空を見上げていた。
妙楽が用意していた着流しが見事にずぶ濡れで、裾の方には泥が跳ねている。
彼が何を考えているのかわからず、隠れるのも忘れてあっけらかんと眺めていると、視線に気付いたのか蛇骨がこちらを(かえり)みた。視線がかち合う。
「なんだお前か。何か用かよ?」
慌てて首を振る。
蛇骨は薄く笑ってはり付く髪をかき上げた。(かんざし)(まと)められていたはずだが、今は下ろされている。
「何やってんだ、てツラだな」
天邪鬼はただじっと蛇骨を見上げる。蛇骨はそれを肯定(こうてい)と受け取ったようだ。
「旅してるとなかなか風呂に入れなくてよ。こんな滝みてぇな雨見てたら、なんか気持ち良さそうだなぁ、て思ってさ」
気がついたら土砂降りの中に飛び出していた。
蛇骨は衣の裾を軽く握った。それだけで大量の水がしたたり落ちる。
「あーあ、また兄貴に叱られるな」
悪びれた風も無く笑う蛇骨。
天邪鬼は半ば混乱していた。自分には多少の読心能力があるのだが、目の前の彼が何を考えているのかよくわからない。
叱られるとわかっていて、どうしてするのだろう。
「変なヤツだって思ってやがるな。別にいいぜ、俺、変なヤツだもん」
どうして、堂々と自分が変なヤツだなんて言えるのだろう。
変なモノや奇異なモノは人々から嫌われる。害がないとわかっていても、自分たちと違うだけで恐れ、(うと)んで。
彼は知らないのだろうか。
天邪鬼の瞳がわずかに揺れた。
自分も(いと)われた。だから今、ここにいる。
蛇骨は相変わらず雨に打たれている。その顔は満足げで、自分が(はた)からどう見られているかなどわずかも気にしていない。
人間にも、変わり者はいるんだ。
ふいに、天邪鬼は肩の力が抜けたような感覚を味わった。
――羨ましい。
こんなに奔放でも、蛇骨は否定されない。仲間がいて、ちゃんと存在を認めてもらえて。
みんな、彼のことが――
「嫌い」
知らぬうちに声が出ていた。蛇骨が驚いた様子でこちらを向いたので、それに気付いた。
「お前、やっと声出したな」
「蛇骨、嫌い。嫌われてる、みんなに」
再度発した言葉に、蛇骨の動きが止まった。
「なに? 何だって……?」
怪訝(けげん)な顔で聞き返す。
「みんな、蛇骨が嫌い」
一言一言ゆっくりと、天邪鬼は(つむ)いだ。会話らしい会話をするのは、とても久しかった。
「蛮骨も、煉骨も睡骨も、他の仲間も。蛇骨が嫌いで、もう一緒にいたくないんだよ」
蛇骨は呆けたように何度か瞬きしてから、ゆるゆると口端を上げた。
「なんだよそれ。いきなり何言い出すかと思ったら……」
「蛇骨は嫌なやつ」
真正面から言われて、蛇骨の(まなじり)がつり上がる。
「お前になにがわかるってんだよ。お前にそんなこと言われる筋合いはねぇ」
蛇骨の纏う雰囲気が変化したのを察し、天邪鬼はびくりと身体を震わせた。だが、口が止まってくれない。
「蛇骨はもう、隊にいらない。弱いし頼りにならないし……」
蛇骨の濡れた髪の間に見える双眸(そうぼう)が怒りの色をはらむ。だが、それが唐突に凍りついた。
「天邪鬼は、人の心が読める……」
妙楽が夕餉の折に言っていたのを思い出す。
「じゃあ、本当にみんな……」
わずかに顔を歪ませ、蛇骨は天邪鬼を見据えた。
「わざわざみんなの声を代弁してくれったってことか」
怒気がにじむ声音に、天邪鬼は身を竦めながらも頷く。
「わかったよ」
「蛇骨……?」
雨が激しさを増していく。
「俺は足手まといだもんな。昨日だって置いてかれてさ。格好だって変わってるし、どこに行ったって変な目で見られる。こんな弟分、邪魔に思われて当たり前だ」
自嘲(じちょう)するように笑うが、目は暗い光を帯びている。
「俺みたいなヤツには、結局居場所なんかないってことかよ」
天邪鬼は蒼白になって首を振った。ちがう、自分が伝えたかったのはそんなことじゃない。
「蛇……」
「うるせぇ! てめぇみてぇな妖怪に言われなくても百も承知だってんだ!!」
天邪鬼を鋭く睨みつけ、足元の石を掴んで振りかぶった。
「お前だって、みんなから嫌われてるんだろ! そうやって、人が聞きたくもないことべらべら言って、反応見て(たの)しんでんだろうが! 最低だ!」
石を投げつけられ、天邪鬼から悲鳴が上がる。
「お前なんか嫌いだ! 嫌われて当然だ! 俺の前からいなくなれ!!」
尖った叫び声が耳を突き刺した瞬間、天邪鬼の脳裏にいくつもの情景がよみがえった。
――嫌いだ、嫌いだ、いなくなれ
目を見開いて耳をふさぎ、予想だにしない絶叫がほとばしる。それはひときわ大きな石を投げつけようとしていた蛇骨を(ひる)ませるほどだった。
投石の手が止んだ隙に、天邪鬼は塀を越えて逃げるように森の中へ消えていった。
「くそっ、ちくしょう……」
石を地面に叩きつけ、蛇骨は頭を押さえて歯噛みする。
雨が叩きつける。先ほどまでは心地よかったはずなのに、今は濡れた衣がひどく重たく感じられた。
そこへ足音が響き、蛮骨と煉骨と妙楽、そして蒼空が姿を見せた。
「今の声はなんだ?」
頭のてっぺんから足先まで濡れ鼠の蛇骨を認めた彼らは、ぽかんと口を開けて立ち止まった。
三つほどたっぷり呼吸を置いてから、煉骨の眦がつり上がる。
「蛇骨、何やってやがる! 着物がびしょびしょじゃねぇか、またわざと雨の中に飛び込んだな!!」
雨の降る庭先に下りて怒鳴りながら蛇骨の腕を掴む。わずかに顔を上げた鋭い瞳が煉骨に向けられ、彼は思わず息をのんだ。
遠目に異様な空気を察した蛮骨が彼らに歩み寄る。
「蛇骨、何かあったのか」
「うるせぇ……」
蛇骨は低く呟いて煉骨に掴まれた腕を振り払う。いつもと違う拒絶に、蛮骨と煉骨は怪訝な顔をした。
「何があった? さっきの声はお前のじゃないだろ」
できるだけ刺激しないように努めた蛮骨だが、蛇骨の憤激した眼光に射抜かれて声を失ってしまった。
「大兄貴も煉骨の兄貴も、本当のこと言えばいいじゃねぇか。別にいいんだぜ、俺はそういうの慣れてるし」
「……何を言ってるんだ?」
「天邪鬼の野郎が、みんなが俺のことどう思ってるか教えてくれたぜ。聞きたくもねぇこと言いやがるあいつも相当むかつくけどよ、兄貴たちだって(ひで)ぇんじゃねぇの? 邪魔なら邪魔だって、早く言ってほしかったぜ」
蛇骨の表情がわずかに歪んだが、それはすぐに消え去った。
「隊から出て行く」
「は? いきなり何を言い出すんだよお前は」
思い切り素っ頓狂な煉骨の声が響く。
それを無視して駆け出そうとした蛇骨の腕を今度は蛮骨が掴んで瞬時に拘束した。
「っ……何しやがる!」
蛇骨は力の限りもがくが、びくともしない。
噛み付くように見上げると静かな瞳に行き会った。
「少しは落ち着け。俺の許可なしに隊を抜けられると思ってんのか」
「許可がなくても勝手に出てくさ。お荷物だと思われるくらいなら……」
「何をどうしてお前がお荷物になるのか聞いてるんだ。天邪鬼がどうしたって?」
蛇骨はふんと顔をそむける。
が、そのままでいても逃げられないと判断したのか、ややあって渋々口を開きはじめた。
「天邪鬼が、みんな俺のことが嫌いだって…弱いから、隊にいらないって……」
蛇骨の顔に酷薄な笑みが刻まれる。
「天邪鬼は人の心が読めるんだよな? じゃあ、本当にみんなそう思ってるってことだろ」
「蛇……」
蒼空が何か言いかけたが、蛮骨に目で制された。
おおよその事情を察した蛮骨は、ひとつ大きな息をつき、蛇骨の額を指で弾いた。
「でっ!」
迫力の欠片も感じられない間抜けな声が漏れる。
いくら手加減されているとはいえ、あの大鉾を自在に(あやつ)る指に弾かれれば、痛いものは痛い。
「な、なにす……」
額を押さえたくても両腕を拘束されて叶わず、半泣きで睨み上げる蛇骨に、蛮骨は呆れ顔を近付けた。
「蛇骨。お前に酷いことを言った天邪鬼は、どんな妖怪だ?」
「今さらなんだよ! 天邪鬼っていやぁ、嘘ばっかりついて、人のことを……」
早口で言いかけて、止まる。
自分が言ったことをぐるぐると頭の中で反芻(はんすう)した蛇骨は、ゆっくり首を傾げた。
「嘘……?」
「そういうことだ」
蛮骨は彼の手を解放して(うなず)く。その身体もすっかり雨に濡れていた。
「しかも、天邪鬼は悪意があって嘘をついてるわけじゃないし、それどころか嘘をついてるなんて自覚もない……て、爺さん言ってたよな?」
顔を向けられて、妙楽は深く頷いた。
「蛇骨殿、天邪鬼に言われたことを、もう一度逆の意味で解釈してみてくだされ」
蛇骨は瞠目したまま、時をかけて思考した。
天邪鬼が伝えたかったこと。
「……どうしよう、俺」
青ざめた表情で、彼は三人を見上げた。
「あいつに酷いこと言っちまった……」
自分にとって、何より嬉しいことを言ってくれていた。
「あいつの声聞いたの、初めてで……嘘をつくんだって、肝心なこと忘れてた」
蛇骨が十分理解したのを見て取り、妙楽が辺りを見回す。
「天邪鬼はどこへ?」
「お、俺に(おび)えて、森の中に逃げちまった」
後悔に歪んだ顔で立ち上がり、ふらふら歩き出そうとした蛇骨の肩を、煉骨が止めた。
「待て」
「俺、探してくるから――」
「こんな雨の中で探し回って、風邪でも引かれたら迷惑だ。着替えて部屋で大人しくしてろ」
「だ、だけどよ……」
蛇骨は声を上げかけたが、蛮骨も目で(うなが)しているのを認めて口をつぐむ。
「大丈夫、天邪鬼ならそのうち帰ってくるでしょう」
うなだれる蛇骨を励ますように妙楽が暗い空を見上げて呟いた。
「悲しいことですが、あれの居場所は今、ここしかないのですから」

ばちばちと、雨粒が地表を叩く音がする。
薄暗い部屋の中、蛇骨はぼんやりと壁にもたれてその音を聞いていた。
廊下の軋む音が伝わり、ややあって蛮骨がひょこりと姿を見せた。
「あ、ちゃんと大人しくしてるな。偉い偉い」
いつもこれだけ聞き分けが良かったらなぁと肩をすくめて、蛮骨は蛇骨の隣に腰を下ろす。
返事をする元気もない蛇骨の様子を観察していて、その髪がまだ濡れたままなのに気がついた。
「髪を拭かねぇと風邪引くって。まったくお前は手のかかる……」
使ったまま放っていたのだろう手ぬぐいを取り上げてわしゃわしゃと髪を拭いてやる。手の動きに合わせて頭がぐわんぐわん動くのを見て、思わず笑いが込み上げてきた。
「兄貴、なに笑ってんの」
半眼になった蛇骨に頭を振り、手ぬぐいを蛇骨の頭に被せたまま終了した蛮骨は壁に背を預けた。
「少しは落ち着いたか?」
「……天邪鬼、まだ帰らねぇ?」
境内(けいだい)にいれば蒼空が気付くだろうからな。まだ……」
深く溜息を吐いて、蛇骨は立てた膝に顔をうずめた。
「最低なこと言っちまったよ。きっと傷付いてると思う」
蛮骨は目を(しばたた)かせる。蛇骨がこんなに反省の色を示すのは珍しい。たぶん本当に、相当なことを言ったのだろう。
「俺も独りぼっちだった時があってさ。あいつが今までどんな思いしてきたか分かってやれたはずなのに……」
膝を抱える指に力がこもり、白くなる。
天邪鬼の純粋な気持ちに気付かず、子供のようにわめいて、自分を護ろうとして。蛮骨たちにまで自分の(みにく)さを(さら)してしまった。
消えてしまいたい。自分はどうしてこうなのだろう。
「みんなが俺を嫌ってるって聞いた時は、正直怖かった。やっぱり俺には居場所がないんだ、て。こんな俺だから仕方ないよな、て」
顔を上げない蛇骨の言葉を、蛮骨は無言で聞いている。
「大兄貴たちのこと、心の底から信じきれてなかったのかもな。今は大丈夫でもいつか捨てられるかもしれないって、思ってたんだと思う」
信頼してないわけではない。ただしそれは、蛇骨の胸中に隠れていた不安を消し去るには、まだ足りなかったようだ。
揺らがない信頼があれば、天邪鬼の言葉にあんなに取り乱すことはなかったかもしれない。
自分はまだそれを、手に入れていない。
言いにくいことも全て吐き出した蛇骨は、いっそすっきりと膝から顔を上げた。
何も言わず聞いてくれた蛮骨から何と言われたとしても、覚悟はできていると表情が語っている。
蛮骨はしばらく暗い天井をぼうっと眺めていたが、ゆっくりと視線を落として小さく微笑んだ。
「そうか……」
蛇骨は首を傾げる。裏切りを何より嫌う蛮骨なら、仲間からの堅い信頼がなかったことに不快感を示すかもしれないと思ったのだ。
「大兄貴。かちんと来ねぇの?」
「なんで」
「なんでってて……その」
言葉に詰まる蛇骨に、蛮骨は困ったように笑う。
「俺達を信用しきれてなかったことを嘆くってことは、それだけ信じようとしてくれてたってことだろ? 嬉しくは思うが、別に不満には思わないぞ。俺にもまだまだ足りないものがあるからだと思うし」
お互い様だ、と蛮骨は屈託(くったく)なく言った。
「これから先もお前が七人隊の一員で、俺達の間に絶対の絆ができあがったら、今こうして悩んでることなんてちっぽけなことだと思えるようになるさ。その時に、ここが本当の居場所だと思ってくれれば、それでいい」
手ぬぐいの上からわしわしと頭を撫でると、蛇骨は唇を噛みながらもしっかりと頷いた。
自分も、心の底からそう思えるようになりたい。
そのためにも、変わらなくては。天邪鬼にも、ちゃんと謝らなくては。
「雨上がったら、天邪鬼探しに行っていいか?」
尋ねる蛇骨に、蛮骨は視線を障子戸の向こうに投じた。
そろそろ西日がさす刻限だと思うが、相変わらず雨滴が降り注ぎ陽の光は(うかが)えない。
「止んだらな。今の天気から見るといつになるかわからねぇが。……あ、でも、陽が落ちた後は駄目だぞ。お前まで探す羽目になるからな」
「わ、わかってるよ」
赤くなって頬を膨らます弟分に、蛮骨は肩を揺らして笑った。

絶え間無い雨が、頭上の木の葉を叩いている。
朽木の(うろ)の中で、天邪鬼は身体を丸めて震えていた。
――こわい、こわい
やっぱり自分は(わざわい)だ。蛇骨があんなに憤激したのは自分のせい。
何をした。ただ喜んでほしくて、笑ってほしくて、「みんな蛇骨が好きだよ」と言っただけ。
どうしてあんな顔を向けられる。
どうして自分だけ、喋ることを許されない。
『この疫病神め、近寄るな』
『いつまで村に棲みつくつもりなんだ』
『早く出て行け』
たくさんの声。自分を憎む声。
――皆に(いと)われるのはもういやだ
寒い。長雨が木肌から染み込み、体温を奪っていく。
和尚が迎えに来てまた手を差し延べてはくれないかと、そんな勝手なことを願ってしまう。
――いいや、いけない。
自分のせいで、和尚も責められる。こんな自分に優しくしたせいで。
自分はきっと、独りでいるべくして生まれてきた。自分のそばにいる人は、みんな悲しい思いをする。
「ごめ……なさ……」
消えてしまいたい。一生こんな思いをし続けるのはいやだ。
雷鳴が轟いた。小鬼は身を縮めて速い呼吸を繰り返す。
冷たい風が吹きこむ。
ぎゅっと閉じていた瞼が、ふいに開かれた。
神経を研ぎ澄ませる。
霧で見えない村の彼方に、妖気が生じた。

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