海での事件から数日後、七人は戦場に立った。
戦が始まったのだ。
と言っても予想通り、敵兵の数も力も大したことはなく、圧倒的な勝利で終わったのだが。
そして今は、勝利を祝っての宴の最中である。
「蛮骨どの、さすがであった。
本当に、なんと礼を申せばよいやら」
蛮骨の杯に酒を注ぎながら、城主は嬉しそうに言う。
蛮骨は酒を一気に飲み干した。
他の者たちも大いに盛り上がっている。小さな戦とはいえ、久しぶりに暴れられたのだ。
すっかり元に戻った蛇骨も、今日の成果を睡骨と話しながら馬鹿笑いしていた。
城主が席をはずすと、代わりに由姫が蛮骨のもとへやってきた。
手に抱えた酒を、さっそく彼の杯に注ごうとすると、
「ああ、俺こっちの酒のほうが気に入ってんだ。
わりぃけど、それは他のやつにやってくれ」
蛮骨はなんとはない風情で断る。由姫は残念そうな顔をすると、他の者のところへと去って行った。
一人になった蛮骨は縁側から空を仰ぐ。そこには細くなった月があった。
明日、きちんと報酬をもらい、明後日にはここを出る。
戦が終わった以上、長居は無用だ。
「大兄貴」
煉骨が蛮骨の隣に腰を下ろした。そして、そっと訊く。
「あの髪、まだ持ってんのか?」
「ああ」
蛮骨は懐から髪に包まれたソレをちらりとのぞかせた。
「んなもん、早く捨てちまったらどうだ。縁起でもねぇ」
「ちょっと気になるコトがあってよぉ」
煉骨は首を傾げた。
「気になるコト?」
「城主の話だと、日に日に兵の数が減ってるらしいんだ。
逃げたわけでもねぇし、俺は妖怪の仕業だと思うんだが……」
「兵たちが妖怪に食われてるって?」
煉骨は噴き出した。それを見て少年は眉を寄せる。
「何がおかしい」
「大兄貴。だから何だってんだ?ここの連中が食われようが食われまいが、
俺たちには関係ねぇじゃねぇか」
む、と蛮骨は言葉に詰まる。
確かに、日ごろの自分の考え方だとそうだ。そうなのだが。
「妖怪の仕業だと思ってんなら、城主にそう言って、巫女でもなんでも呼ばせて祓わせればいいだろ。
俺は退治屋の真似事をする気はないぜ」
「そんな力のあるヤツが、この辺にいると思うか?
そうこうしてる内に、お前たちに何かあったらどうする」
「なら、そうなる前にとっととここからオサラバすればいい」
あくまで淡々とした煉骨の言葉を受けて、蛮骨は立ち上がった。
「何処行くんだ?」
「お前がそんな冷たいヤツだとは思わなかった。
いや、知ってたけど再発見した。
もういい、お前なんか妖怪に襲われたって助けてやらねぇからな。
この冷血タコ野郎!」
「た……」
冷たい瞳で見下ろされ、挙句に正面きって『冷血タコ野郎』呼ばわりされた副将は音を立てて固まってしまった。
(俺、なんか間違ったこと言ったか……?)
頭の中でぐるぐる考えるも、わからない。
至っていつもと同じような会話をしたつもりなのだが。
蛮骨のほうは怒ったように部屋を出て行ってしまった。
その背を眺めながら、哀れな副将は途方にくれる。
(何なんだよ何なんだよ何なんだよ……!)
怒った理由は、正直自分にもわからなかった。
煉骨の言ったことは正しいのだ。少なくとも、七人隊のうちでの考えでは。
蛮骨の足は、行くあてを探してさ迷っている。煉骨に言いたい放題言ってしまったため、なんとなく戻りづらい。
それに、あの酒をかわすのも疲れてきた。
例のごとく、仲間や城の連中が飲んでいるのはあの美味いと評判の酒だ。蛮骨も何度勧められたか知れない。
そのたびに何だかんだと言い訳して、ここまで飲まずにこれたのだが。
もともと酒好きの彼にとって、それは想像を絶する苦痛であった。
確かに、他の酒もあるにはあるのだが、部屋に充満するのは当然、美酒の香。
その中にいては、自分の片手にある酒が水も同然に思われるのも仕方が無い。
抜け出せたことに感謝すべきなのだろうか。
かと言って、この時間をどう過ごそうか。
蛮竜の手入れは先ほど存分にやってしまい、部屋に戻ってもすることがないのだ。
戦が終わって早々に風呂にも入ってしまった。
宴はどうせ真夜中まで続く。話し相手もなし。
(はぁ、何かねぇかなぁ…)
長い廊下を適当に歩き進んでいた蛮骨は、ふと脇道を見つけた。
(なんだ……?)
時折風が吹き込んでくる。外に出る道なのだろうか。
暗くてよく見えないが、どうやら離れに続く渡り廊下になっているようだ。
少し、興味がわいた。
今は、時間潰しのためなら何でもするつもりである。
蛮骨はその廊下を渡った。ここは中庭になっているらしく、宴の騒がしさがわずかに聞こえてくる。
近づくと、その建物は離れ部屋というよりは小屋のようだ。
なかなかに大きいが、蔵と呼ぶまでにはいかない程度。
入り口に一人だけ、見張りがいた。
「おや、蛮骨どの。どうされた?」
見張りは目を丸くしてたずねてくる。もっともな反応だ。
「この中には何があるんだ?」
「ああ、この小屋ですか。
ここは書庫として使っております」
「書庫か……」
なんだ、と興味は薄らいだ。だが、どうせ暇なのだから。
「中を見てもいいか」
「たいした書物はこざいませぬが。
蛮骨どのならば許可できるでしょう。お待ちくだされ」
言うと、見張りの者はすぐに鍵を開けて蛮骨を通した。おまけに灯りも持たせてくれた。
「中は暗いので、これを使うとよい」
蛮骨は礼を言いながら、思う。
(この城の連中は、どいつもこいつも心が広いなぁ)
これで蛮骨が火でも放って城まで焼かせて逃げ出したりしたらどうするのか。
でもなんだかそれでも、この見張りが厳しい罰則を受けるような気がしない。
あの城主ならば「仕方ないじゃないか」などと肩をポンポン叩いて終わってしまうような気がするのは、考えすぎだろうか。
渋い笑みを浮かべ、蛮骨は書庫へ入った。
窓もなく真っ暗な書庫の中を灯りで照らすと、棚の上に巻物が積まれている。
たしかに、たいした物はない。目につくのは、家系図や歴史書ばかり。
(へぇ、あの城主、吉長って名前なのか)
短い家系図の一番端に目をやると、「吉長」の文字。その後ろは、由姫の名で終わっている。
家系図をもとに戻し、他に何かないかと灯りを少し高く掲げた。
すると、一つだけ、他と離れて置かれている巻物が見えた。分厚くて、紐が幾重にも巻かれている。
それに手を伸ばしたとき、後ろから呼ばれた。
「大兄貴。なにしてるんだ?」
「…煉骨?」
戸口からこちらを見ているのは煉骨だ。それを認め、蛮骨も少しばかり驚く。
「お前こそ、どうした?」
蛇骨あたりが何かやらかしたのだろうか。
煉骨は苦い顔になる。
「大兄貴のことが気になっただけだ。なんか知らねぇが、怒ってるみたいだからな。
城のヤツに訊いたら、こっちに来たっていうから…」
それに、「冷血タコ野郎」呼ばわりされて黙っているわけにもいかない。
小屋の中を見回し、煉骨は不思議そうに蛮骨を見る。
「なんで書庫なんかにいるんだ?俺や睡骨ならともかく、大兄貴が」
「暇だったからさ。でもやっぱ、大したモンねぇなぁ。
戦法とか武器の本とか、最悪、地理書くらいねぇかと思ったんだが」
蛮骨は再びさっきの巻物に手を伸ばした。
これがまた家系図なら、もうここを出ようと考えたのだが。
長い紐を解いてみると、どうやらまともに文章が書いてある。しかも何やら絵図まで載っていた。
「煉骨、これなんだと思う」
どれどれとそれを手に取って読んだ煉骨は、しばらくして口を開いた。
「たぶん、風土記の一種だ。伝説をもとに、ここらの妖怪について書いてあるぜ。
でも、かなり古いモンだ。字が薄くなって読みにくい」
「妖怪か」
蛮骨はもう一度巻物をまじまじと眺めた。なるほど、挿絵は妖怪が描かれ、文章はそれを説明したもの。
色々と見ていくうちに、蛮骨は一つの挿絵のところで視線を留めた。
「煉骨。これ」
煉骨もその絵を見る。
それは、水の中から半分だけ女の顔が覗いている絵だった。長い髪が水面に広がり、それが人に絡み付いて締め付けている。
「不気味な絵だな。……これが?」
蛮骨は懐から例の髪を取り出す。煉骨もはっとした。
「海で蛇骨を襲ったのは、この妖怪かもしれねぇ」
「あ、ああ。だけどよ、詳しいことはよくわからねえぜ。字はかすれちまってるし…」
煉骨は関わりたくないと言うように、巻物からも蛮骨からも離れようとする。だが蛮骨はそれを許さない。
副将の肩をしっかり掴み、その顔にむかってにっこり微笑んだ。
「俺がなんでお前に髪の話をしたと思ってる。
こういう面では働いてもらわねぇと。解読くらい朝飯前だろ?
頼りにしてますよ、知恵袋の煉骨サマ」

その時煉骨は、にっこりとこちらに向けられた顔を世にも恐ろしいものだと確信したのである。

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