睡骨は、朝になっても気分が優れないようだった。
蛮骨と煉骨は様子を見にいったが、眠ったまま、何かにうなされているような状態である。
昨日の睡骨は、何かに憑かれていた様子だった。
目覚めたとしても、なにも覚えていないかもしれない。
事情を知らない他の仲間たちは、睡骨を元気付けるように枕元で話しかけたが、全く彼の耳には届かなかった。
昨夜彼の身に起こったことを、蛮骨たちは仲間に話していない。
蛮骨は妖怪を仕留めると固く決心していた。蛇骨と睡骨を殺しかけた妖怪を、生かしておくつもりはない。
そのためにも、仲間に事実を話すのは避けた方がいい。
事実を知った彼らが騒いだりしたら、妖怪が危機を察知して本格的に暴れだすかもしれない。
手がつけられなくなったら意味がない。
本当に心配している蛇骨たちに、煉骨は睡骨が風邪で熱をだしているから近づくな、と告げた。
煉骨が言うのならそうなのだろうと、仲間はそれに素直に従い、部屋を出て行く。
嘘をつくのは蛮骨も煉骨も嫌だったが、この際仕方がなかった。
仲間の出て行った部屋で、蛮骨は口をひらいた。
「煉骨、睡骨は大丈夫なんだな?」
「ああ。うなされてはいるが、命に別状はない。
妖気を注がれたのかもしれねぇな。それが抜けるまではしばらくこのままだ……」
そうかと頷き、蛮骨は目を細めた。
「城の敷地内に妖怪がいるなら、兵たちを襲ってるのもそいつだろうな」
「兵の数が減っているって話か?まあ、そう考えていいだろう」
だけど、と煉骨が首を傾げる。
「やっぱり納得いかねぇ。
なんで大兄貴はそのことにこだわってんだ?
戦は終わったんだし、兵が減ろうが増えようがどうでもいいんじゃねえか?」
蛮骨ははっとして慌てて首を振った。
「別に、こだわってるわけじゃねぇよ。
ただ、一緒に解決するならそれはそれでいいかと思って……」
煉骨はまだ納得できない様子でったが、それ以上は問わなかった。
しかし、明らかにおかしいと感じたのは確かだ。
蛮骨は焦っていた。
まさか城主を気に入ったから助けてやりたいなどと、言えるわけがない。
自分は泣く子も黙る七人隊の首領。その自分が、しかも副将の煉骨に。
ふと、自分はもしかしたら情にもろい質なのかもしれないと思った。
自然と、苦笑がにじんでしまった。
廊下を歩いていると、前方の角を曲がって城主が現れた。
「おお、蛮骨どのか」
「吉長」
名を呼ぶと、城主はおや、と何かに気付いた風情で言った。
「蛮骨どの、もしや私はそなたに名を教えるのを忘れていたか…?」
蛮骨は頷いた。
「ああ。だけど、なんでそう思ったんだ?」
名を呼んだのだから、普通は逆に思うものではないのか。
「そなたに名を呼ばれたのは初めてだからな。ふとそう思ったのだ。
どこで私の名を知ったんだ?」
「家系図で……」
「家系図?」
城主の吉長は不思議そうな顔をしたが、すぐに合点がいったようだ。
「ああ!書庫にあったやつだな?
あそこには、たいした物はなかっただろう」
「うん」と真正直に答えるのもどうかと思い、蛮骨は苦い笑みをもって返す。
吉長は書庫に入ったのを怒るでもなく、そうかそうかと笑いながら蛮骨に手を振って別れた。
吉長と擦れ違う際、彼の後ろに誰かがついているのを、蛮骨は見た。
由姫だった。
由姫はにこりと微笑みかけ、城主のあとをついていく。
蛮骨はぞくりとした。
今までもずっと城主の後ろにいたのか。
まただ。また、足音にも気配にも、気付かなかった。
「あいつ…」
「由姫が妖怪かもしれないって?」
蛮骨は頷いた。
部屋に戻った蛮骨は、かねてからの予想を煉骨に話してみた。
「あいつが現れるとき、俺はいつもあいつの気配に気付くことができねぇんだ。
こんなギシギシ軋む廊を歩いてるっていうのに、足音ひとつたてねえってのは妙だろ?」
「確かになぁ。でも俺はあの姫様とそんなに話したこともねぇし、よくわからねえ」
煉骨は確信を持てないようだ。だが、蛮骨は違う。
「城主には悪いが、俺は妖怪が取り付いているとしたらあの姫で間違いないと思う。
姫に取り付いたなら、万が一ばれそうになっても簡単に手出しはされないと考えたんだろう」
口に出して言ってみると、予感がすごく現実めいたものになった。
「そもそも最初からおかしかったんだ。
戦が始まるってときに、大切な一人娘の姫を一人で野山にいかせるヤツがどこにいる?」
「確かにな。女房のやつも酷く探していたようだし、勝手に出て行ったってことか」
「門には見張りもいる。気付かれずに出るとしたら、塀を乗り越えるしかねえが、
本来の姫には無理なハナシだ」
そう考えると、やはりあの姫は妖怪なのだと思える。
始めから、妖怪だったのだ。ということは、七人隊がここに招かれたのも何かの目的があってか。
「何の話をしてるんだよ~」
突然かけられた声に、二人は思わずびくっとした。
蛇骨だ。
蛇骨はすたすたと近寄ると、蛮骨にもたれた。
「なあなあ、なんの話だ?
二人でなんかするのか?……わかった、二人だけで海に遊びに…」
「誰がそんなことするか!」
蛮骨は容赦なく蛇骨を押しのける。
よかった。詳しい内容までは聞かれてないらしい。
蛇骨は呻いた。
「いってえな~、そんなムキになるなよ。
冗談だって。俺は二人を呼びにきたんだ。」
「何の用だ」
「睡骨が気がついたんだよ」
なに、と目を見張り、蛮骨も煉骨も蛇骨を放っておいて睡骨の部屋に急いだ。
放っておかれた蛇骨は怒って声をあげる。
「何なんだよ!ただの風邪なんだろ?
二人してそんなセカセカすることじゃねえじゃん!」
だがその声は、むなしく部屋に響くだけだった。
二人が睡骨のもとへ行くと、彼は布団の上に身を起こしていた。
羅刹の形相がまだどことなく青く、体調が完全に良くはないことを示している。
「睡骨、大丈夫か?」
「…ああ、大兄貴。
大丈夫だ。風邪薬や何やらを飲まされて、口の中が変な感じだが」
「すまねぇ、皆には風邪だってことにしてるんだ」
蛮骨は睡骨に横になるよう促し、睡骨もそれに従った。
「二人が助けてくれたんだな」
煉骨が頷き、睡骨に訊いた。
「昨日、一体何があった?」
睡骨は記憶を掘り起こすように天井を見つめた。寝起きのためか、記憶がおぼろだ。
だが、しばらくたってもやはり、鮮明なことは覚えていないという結論にいたった。
「あまり詳しくは覚えてねえが……
女の声が、聞こえたきがする」
「女の…声?」
「そうだ。あれは夢のなかだったんだろうが、女に呼ばれたんだ。
で、意思には関係なく体が動いてよぉ。気付いたら外にいて、いきなり何かに締め付けられた」
首領と副将は顔を見合わせた。
「その、女の声。
聞き覚えはなかったか?」
睡骨は眉を寄せる。
「わかんねぇな。若い女の声だったことしか…」
若い女の声。ということは、由姫の可能性も十分にある。
意味ありげに視線をかわす蛮骨と煉骨を、睡骨は不思議そうに眺めた。
城主から報酬をもらい、自室に戻った蛮骨は何気なく天井を見ていた。
報酬は多くも少なくもなく、しばらく続いた懐の寒さからも開放された。
明日には、ここを出る。
(今日のうちに、片をつけてぇが…)
さてどうしたものか。
敵が誰なのか見当もついているし、倒し方も一応わかっている。
だが、相手が姫の姿をとっているのでは、そうそう簡単に斬り捨てることもできない。
すぐに別れることにはなるが、吉長との関係が悪くなるのも嫌だった。
一人で頭を抱えていると、部屋の戸がすぅっと開いた。
「蛮骨さま」
その声を聞いた瞬間、蛮骨は寒気がした。
だが、あえて平静をよそおって応じる。
「由姫か、どうした?」
部屋に足を踏み入れた由姫は、すすす、と蛮骨のもとに近づいて座した。
「明日、出発なさるとききました」
「ああ、そのつもりだ」
「淋しくなりますね。
……せめて今夜は、蛮骨さまとお話していとうございます」
由姫がさらに間をつめる。
「今夜、こっそり私の部屋へおいでください」
耳元でささやかれ、蛮骨は身を硬くした。
(――あやしい)
蛮骨はこの少女の正体を知っている。これは罠だということも。
ならば、それを逆に利用してやろう、と思った。
「わかった。……必ず行くから、待っててくれ」
同じようにささやいて返してやると、由姫は満足そうに妖しげな笑みを浮かべ、部屋を出て行った。
再び一人になった蛮骨は、小さく息をついた。
部屋にいったら、何をするつもりなのだろうか。純粋な乙女が考えることではないだろう、たぶん。
(はは、正体知っててよかったぜ……)
心底そう思う。
何にしろ、むこうからきっかけが飛び込んできたのだ。
今夜中に全てを終わらせなければならない。
吉長は、窓から空をながめていた。
今は夕刻。空は赤くそまっている。
見上げる瞳は、いつものように穏やかではなく、愁いをはらんでいる。
ちらりと、部屋に飾られた刀を見やり、顔をうつうむける。
ぐっと拳を握ると、再び視線を空へ戻した。
その目は、決意の色に彩られていた。

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