翌朝、蛮骨は寝覚めが悪かった。
一晩中続いていた息苦しさから開放されたものの、夢のなかに出てきた朔夜のことが気になっていた。
そういうのを信じる方ではないが、もしかしたら何かあったのではと思ってしまう。
全員が目を覚ますと、まもなくして店主が朝餉を持ってきた。
皆が黙々と食べているので、蛮骨も自分の膳に向かう。
と、盆の上にのせられた皿がわずかに動いたように見えた。
「…?」
気のせいだろうかとじっと見ていると、膳の食事が少しずつ減っていっている。
(なんだ…?)
なおも観察していると、焼き魚がパッと消えた。
(妖怪の野郎だな)
蛮骨は狙いを定め、そこを思いっきり平手で殴った。
バンッとすさまじい音がして、仲間は驚いてそちらを見る。
蛮骨の手には、確かな手ごたえがあった。
姿は見えないが、手の中で何かが暴れている。
逃げないようにしっかり捕まえながら、蛮骨はそれを床に叩き付けた。
「な、なにやってんだ、大兄貴」
煉骨の声に応えることもなく、蛮骨は拳を叩きつけている。少なくとも周りからはそう見えた。
「ぎゃふっ」
幾度目かの衝撃とともに、悲鳴があがった。
仲間たちは目を瞠る。
床に、なにかがうずくまっている。今まで見えなかったのに、突然現れたのだ。
「なんだよぉ、そいつ」
蛮骨はソレをつまみあげた。
フカフカした毛に覆われた生き物だ。
「ああ?狸か…?」
狸は完全に伸びているらしく、ぶらぶらと吊り下げられて抵抗もしない。
「大兄貴、そいつは…?」
「この宿に来てから俺に変なことが起こってよ。
たぶん、こいつが犯人だ」
とりあえず蛮骨は、目を回した狸を縛り上げた。
「おい煉骨。鍋持ってこい」
「何に使うんだ?」
「このクソ狸、煮て焼いて食う」
「えぇ~、腹壊すんじゃねぇ?」
蛇骨は顔をしかめる。
「だけど、この狸を逃がしたら、また悪さするぜ。
ここで成敗してやろうじゃねぇか」
すぐに鍋を用意して、ぐつぐつと湯が沸かされた。
すると、狸はパチリと目を覚ました。
眼下に、濃い湯気を上げた鍋がある。
「ぎゃぁぁああ!!」
狸は激しく暴れたが、縄で縛られているためどうにもならない。
「おや狸さん、お目覚めですかい」
にっこり笑った蛮骨が狸を覗き込んだ。
「あっ、あああ…あわわ…
ご、ごめんなさいっ、ほんと申し訳ありませんでした!」
狸が必死に謝るのを無視して、蛮骨は縄を下へおろしていく。
ぐつぐつ煮えたぎる湯が近くなっていく。
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「そろそろいいかなぁー」
「いぃ~やぁ~っ!!どうかどうか、わたしの話を聞いてくださいよぅ!!」
「さんざん人の邪魔をしておいて、今さら話を聞けもないだろ」
蛮骨にじとりと睨まれ、狸は身をすくめた。
仲間たちは興味深そうにそれを眺めている。
「風呂で俺に水をかけたり頭殴ったり、寝てるときに体に乗ってきたりしたのはお前だな」
「…はい」
狸はかすれたような声で肯定した。
そのとき、狸の尻尾の先が熱湯に触れた。
「あぁっちぃーーっ!」
狸は慌てて尻尾をあげ、身を縮こまらせた。
「うぅ……お願いじまず、許じでぐだざい~」
涙をぼろぼろ流して懇願する狸。
だが、蛮骨は鼻で笑った。
「ごめんなぁ、俺、すっげぇ機嫌悪いから」
と、外の通りから足音が聞こえた。
何気なくそちらに目をやると、一人の女が道を歩いていた。
町の方にむかって彼女は去っていった。
それほど興味も引かれず、蛮骨はすぐに狸に視線を戻した。
見ると狸は、泣くのも忘れたように彼女の後姿を食い入るように見つめていた。
女が角を曲がっていなくなっても、そこから視線をはずそうとしない。
それを見て蛮骨はすぐに悟った。
「へぇ。お前、あの女に惚れてんだ?」
狸はボッと上気して、がばりと蛮骨を仰いだ。
「なんでわかるんですっ」
つい言ってしまったが、すぐに狸は後悔した。これでは認めたのと同じではないか。
狸は力なく肩を落とした。
「人間に恋をするなんて、愚かなことですよね…。
もう、いいです、あきらめます。どうせ実らない恋ですから…
どうぞ煮るなり焼くなりお好きなようになさってください」
蛮骨は狸をじーっと見つめた。そして深く息をつく。
「まったく…」
狸の縄を解いて、抱き上げた。
「そんなシケた顔してんじゃ、殺しても面白くねぇよ」
「へ…?」
狸はきょとんと目を丸くする。
「大兄貴も、物好きだな…」
睡骨がやれやれと肩をすくめると、煉骨や霧骨も頷いた。
「言っとくが、俺らを巻き込まねぇでくれよ」
「わかってるって。
こいつを食うよか、こいつの哀れな恋を実らせる方が面白そうだしなぁー」
面白い玩具を見つけた子供のように笑う蛮骨を前に、狸は戸惑うばかりだった。
「あの、わたしを食わないんですか?」
「ああ?食われたいのか?」
自由になった狸は慌てて首を振った。
見下ろすかたちの蛮骨は、びしりと狸を指差した。
「言っとくけど、お前にやる猶予は三日だ。その間に意中の女を射止めろ。
三日の間は俺も手を貸してやるが、それを過ぎたら即刻お前を食うからな」
「えっ?」
突然の宣告に、狸はしどろもどろだ。
てっきり、このまま逃がしてくれるのかと思っていたのだ。
「む、無理ですよ!わたしは見てのとおり狸です。人間の女性と恋仲になるなんて……」
「やってみる前からあーだこーだ抜かすな!」
一喝され、狸は小さくなる。
「お前も狸なら、人に化けるくらいできるだろ。なんとかなるかもしれねぇじゃんか」
狸は首をかしげた。
「なんでそんなに応援してくれるんです?」
蛮骨は怒ったように息を吐くと、狸の頭をわしわしと撫でた。
「仕方ねーだろ、こういうタチなんだよ。それはそうと、何で俺にばっかり悪さをしてたんだ」
「え……それはぁ…」
狸は困ったようにもじもじした。
「言え。言わねぇと食う」
脅され、狸はそろそろと口を開いた。
「あなたも、好きな人、いるんですよねぇ…?」
「は?な、なんで知ってるんだ?」
「わたし、多少なら人の心の中が読めるんです。
あなたは風呂に入ってるとき、その人のことを考えていらしたので。
わたしの気持ちのわかる人かもしれないと思って近づいたんですが…」
気付いてもらうためにやっていたイタズラのせいで、散々な目に遭ってしまった。
変なヤツだと蛮骨は苦笑した。
「さ、そろそろあの女を探しに行こうぜ。狸、人間に化けてみろ」
狸は葉っぱを頭にのせ、何ごとか呟いた。
すると体が煙に包まれ、一瞬後にはそこに青年が立っていた。
言っちゃあ悪いが、そんなに顔は良くない。背も低いし、ありふれた人間だった。
「おいおい、どうせならもっと格好よくなればいいじゃねぇか」
「わたしだってそうしたいですよ。でも、わたしではこれが精一杯で」
そこへ蛇骨がやってきた。
「蛮骨の兄貴、誰だこいつ」
「狸が化けたんだ」
それを聞いて、蛇骨は噴き出した。
「それで振り向いてもらおうとしてんのかよ。やめとけって、傷つくだけだぜ~」
狸はうなだれた。
「狸、いちいち暗くなるな。で、お前の名前は?」
「一太郎です」
蛮骨はさすがに顔をしかめた。名前までありふれている。
「覚えやすいから、いいか…」
自分を納得させて、蛮骨は腰を上げた。
「お、さっそく行くのかい?じゃあ俺も」
蛇骨が面白がってついてくる。
「お前は来なくていい。ぜってー邪魔するだろ」
「見てるだけだって。俺はなーんもしねぇよ」

結局蛇骨も交えて、彼らは町へ出た。
昨日は着いたのが夕方だったからそうでもなかったが、今日は随分と賑やかだ。
「人が多いな。あの女、どこにいるんだ?」
「あの人は、いつも決まった茶店にいるんです。
こっちですよ」
狸が化けた人間は、人の間を縫って先を行く。
しばらく行ったところで、一太郎は足を止めた。
彼の前には茶店がある。そこに、例の女がいた。
店先の椅子に腰掛け、優雅に茶を飲みながら行き交う人を見ている。
「いたいた。さ、行けよ」
「ええっ、いきなりですか!?」
一太郎は不安そうに蛮骨を見た。
「三日のうちに片付けねぇと、お前食われるんだぞ?
やることはさっさとやっちまいな」
蛮骨がぽんと背を押すと、一太郎の体は女の前へ飛び出した。
彼女は不思議そうに一太郎を見つめる。
一太郎はどうすれば良いのかわからず、蛮骨たちのほうをチラリと見た。
すると彼らは、とりあえず座れと身振りで示している。
「あ、あの…お隣、よろしいですか?」
女はにこりと微笑んだ。
「ええ、どうぞ」
一太郎はそれだけで天にも昇るような気分だったが、気を確かに持たねばと姿勢を正す。
気を抜いたら変化が解けて狸に戻ってしまうのだ。
何もしないのは不自然なので、一太郎はとりあえず団子を頼んだ。
「あ、え…と、いい天気ですねぇ~」
思ったより小さい声になってしまったが、隣の彼女にはちゃんと聞こえたようだ。
「そうですね、このごろお天気が続いて…」
微笑みながら彼女も空を見上げる。
少しすると、団子が運ばれてきた。
「どうぞ、食べてください」
一太郎は女に団子を一本手渡す。
女は不思議そうに首を傾けたが、礼を言ってそれを受け取った。
指が触れた。
はたから見ても、狸が固まったのがわかった。
「…あいつ、ほんとにウブなんだなー」
影で見ていた蛮骨は、息をつく。
女は一太郎を覗き込んだ。
「どうしました?」
その声に一太郎は我にかえり、あわてて身を引いた。
「す、すみませんっ。えーと…そうそう、わたしは一太郎と申す者で。
良ければそちらのお名前も教えてください」
「私は、華と申します」
女は快く名を教えてくれた。
「華さん……素敵な名前だ…」
狸は顔が真っ赤だ。
彼女とこんなに話ができるなんて、夢にも思っていなかった。
「うん、なかなか見る目はあるんじゃねーか?けっこう良い女だぜ」
蛮骨は隣の蛇骨に話しかける。
「…狸にしてはなー」
蛇骨は面白くなさそうに答えた。

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