宿に戻ってきた蛮骨は、むくれた様子の蛇骨に会って重く息を吐いた。
「なんだ蛇骨、まだ怒ってるのか」
「女の匂いがする! あームカつく!!」
「早く帰ってきたんだから良いだろうが、まだ五つを少し過ぎたくらいだろ?」
出て行ったのは夕方だ。怒るほど遊んでいたわけでもない。
「大兄貴、煉骨はどうした? 霧骨も、二人を追いかけてったはずだが」
睡骨が首を傾ける。
「ああ、あいつらは泊まってくるよ。依頼人が金出してくれるってんで」
「へぇ、太っ腹だな」
煉骨が泊まると聞いて、蛇骨はさらに息巻いた。
「くそー! 兄貴もきっと女の臭いぷんぷんさせて帰ってくるんだ!
ぜってー部屋に入れねェからな!!」
帰ってくるのは明日だというのに、さっそく入り口に荷物を寄せて防壁を作っている。
「銀骨! お前は入り口にいろ!兄貴の裏切り者を一歩も中に入れるな!!」
「ぎ、ぎし!? そんな……」
銀骨はどうするべきかと蛮骨と睡骨を見つめるが、二人はあえてそれには答えず肩をすくめた。
「ご苦労なことだ」
「自分のことは棚に上げてな」
睡骨がちらと蛮骨の手元に目線を落とす。
「大兄貴、それは?」
蛮骨はああ、と包みを持ち上げた。
「土産。皆で食え」
包みを広げると、中から出てきたのは奇麗な細工を施した重箱だ。
箱ごと島屋の旦那が買ったので、店に返しにいかなくて良いらしい。
「何つうか、価値観の違いが表れてるよなぁ」
一般庶民には、欲しいと思って買える品ではない。
七人隊とてこんな物を持っていても使い道があるわけでもないので、中の料理を食べたら奇麗に洗ってどこぞに売り飛ばす心積もりである。
何はともあれ、五段ほど詰まれた弁当箱を分解し、それぞれに箸を持った。
蛮骨は良いだけ食べてきたので、部屋の端に座って窓に寄りかかった。
「で、島屋とかいう旦那の話は?」
料理を口に運びながら睡骨が問うと、蛮骨は息をついて首を振る。
「俺たちが行った時にすでに酔っててなぁ。話らしい話はできなかったぜ」
分かったことは、島屋というのが呉服屋で、大層羽振りが良いのだということ位だろうか。
「これだから、ああいう場所での談合は嫌なんだ」
小言を漏らす蛮骨に睡骨が苦笑を滲ませていると、蛇骨があっと声を上げた。
「ここ、明らかに何かあったよな!?」
蛇骨が箸の先で差す箇所に、確かに不自然な隙間があった。
睡骨と蛇骨が揃って蛮骨を見つめる。彼は事も無げに答えた。
「ああ。魚料理があったんだがな、一匹だとまた取り合いになるから、店先にいた野良(のら)にくれてやった」
「野良ぁ!? って、犬? 猫?」
「いや、そこは問題じゃねぇだろう」
すかさず睡骨の突込みが入るが、蛇骨の耳には届いていないらしい。
「猫」
蛮骨の答えに、蛇骨は憤怒で頭を抱えた。
「大兄貴の馬鹿やろー! 猫なんざに騙されやがって…!
あいつらはなぁ、餌もらうためなら足に擦り寄ったり可愛い顔したりなんて、平気でするんだよ!
そのくせ、用が済んだら見向きもしねぇし…!とにかく、最低なんだよ!」
随分詳しい蛇骨だが、その内容はと言えば、普段の彼のようである。
蛇骨の性格と猫の性格というのは、かなり似通っているらしい。
蛮骨と睡骨は、頭の端で同じことを考えながら、蛇骨の話を聞いていた。
「その猫野郎に、俺の魚を盗られただと! 黙ってられるかー!!」
「いや、別にお前のじゃねぇし」
ぼそりと呟く睡骨だが、蛇骨の睨みを受け、慌てて口をつぐむ。
蛇骨は眉を吊り上げて蛮骨に詰め寄った。
「大兄貴っ、その猫、どこにいるんだよ!俺が見つけて、魚取り返す!!」
「馬鹿なこと言ってねぇで、ほら」
蛮骨が疲れたように指差す先を目で追い、蛇骨はまたも絶叫する。
黙々と食べることに専念していた凶骨と銀骨のおかげで、重箱の料理がほとんど無くなっていた。
「あーっ!! てめぇら、勝手に食うな!!俺の分も残せ!!」
「ぎし、早いもん勝ちだ」
「なんだと!!」
蛇骨は銀骨に殴りかかるが、その鋼の肉体に返り討ちにあってしまう。
したたかぶつけた右手を押さえ涙目で唸る蛇骨に、蛮骨と睡骨は小さく肩を震わせていた。

いつになく寝心地のいい夜である。
そりゃそうだ。地が割れるような大男のイビキは聞こえないし、予告無く背中に抱きついてくる変な(やから)もいない。
おまけに布団は上質ときている。
柔らかな寝具にくるまれて、煉骨は穏やかな顔をして寝ていた。
夜が更けてほとんどの部屋が眠りについた頃。
隣に寝ていた女が、音も無く身を起こした。
うつろな瞳が闇を彷徨う。
煉骨を見つめた女は、身を乗り出して彼を覗き込んだ。
赤い唇がわずかに開けられ、舌がのぞく。
女の顔が、煉骨の顔に近づけられた。
ざらり、と。
「ひっ!?」
びくりと身を震わせ、短い悲鳴を上げた煉骨は反射的に飛び起きた。
左の頬を押さえ、瞠目して女と向き合う。
「何をする!」
明かりが無くてよく見えないが、女の目はうつろだった。こちらを見ているようで、見ていない。
独特の軽い口調で返されるかと思ったが、意に反して彼女は黙したままであった。
警戒した煉骨が眉を寄せた瞬間、女の身体が傾く。
糸が切れたように、彼女は布団の上に崩れ落ちた。
「………」
息を詰めて様子を伺うが、それ以上動く気配はない。
おそるおそる顔を覗くと、規則正しい息遣いが感じられた。
(寝てるのか……?)
何だったのだろう。夢遊病の一種なのか。
女の布団から自分の布団をできるだけ引き離し、煉骨はそろそろと中にくるまった。
(あわ)立っている首筋に手をあて、軽く擦る。
先ほど感じた、舌の感触。
(本当に…)
この女の、ものなのか。
一気に覚醒させられた頭は、夜更けにも関わらず全く眠気を感じなかった。
それよりも、恐怖を感じてしまう。
女に背を向けて布団を引き上げ、煉骨は早く朝が来るように願った。

明六つに差しかかった時分、かん高い娘の叫び声が、店の中を駆け抜けた。
のろのろと目を開けた煉骨は、いつの間にか眠っていたことに気付いてはっとした。
昨夜の恐怖体験より、絶対寝るもんかと思っていたのだが、疲れの溜まった身体は正直だったらしい。
身体に異常が無いか確認していると、少し離れたところで女も起き上がった。
「騒がしいこと……あら、煉骨さん、何でそんな隅っこにいるんです?」
欠伸を噛み殺して問う女は、けろりとした風情である。
「昨日の夜、何か無かったか?」
「はてねェ…夜といっても、私はずっと寝てたので分かりませんよ?
久々にゆっくり眠れました」
どうやら、何も覚えていないようだ。
「それより、何でしょうねェ、今の叫び声。あの大声じゃ、みんな飛び起きちまいます」
立ち上がった煉骨は、部屋の戸を開けて廊下に出た。階下でなにやら騒いでいるのが聞こえる。
他の部屋からも、不審げな男や女の顔が覗いていた。遊女の言うとおり、みんな起こされたのだろう。
階下の言い争いに耳を澄ますと、霧骨の声が混じっていた。
(あの野郎、何かやりやがったのか…?)
肩眉を吊り上げ、煉骨はそっと階段を下りた。女が後ろをついてくる。
「煉骨さん、どうなさいました?」
「連れの声がする。何か揉めてるらしい」
一階に下りた煉骨は、思ったとおり言い争っている霧骨を認めて、渋い顔になった。
「おい霧骨。何してるんだ」
「あっ、煉骨! もう起きてたのか?」
「てめぇの声のせいで、店中の客が起こされてるよ。何を言い争ってる?」
霧骨は店の女将(おかみ)をびしりと指差した。
「この女将が、俺に難癖つけやがるんだ!」
「何を言うんです! お客さんがウチの子に手を出そうとするからでしょう!
隣で寝るだけと言う約束でしたのに…!」
「俺から手を出したんじゃねぇよ、その女が誘ってきたんだ!!」
霧骨が返すと、女将の後ろにいる年若い娘が、怯えた様子で首を振る。
「私、そんなことしてません!」
「何を言うか! おめぇが寝ている俺の顔を嘗めてきたんだろうが!」
「そんな…! そんなこと、するわけが…!」
娘は青くなり、涙まで浮かべている。確かに、霧骨の顔を嘗めたとあればショックは大きいだろう。
しかし事の経緯がまるでわからず、煉骨は一人で首を傾げた。
霧骨は一方的に怒鳴り散らしているし、店側は(かたく)なに否定している。
事実を知りえぬ煉骨はどちらに味方することもできない。だが、これでは埒が明かない。
煉骨は霧骨の肩を押さえた。
「他の客に迷惑だ。霧骨、宿に戻ろう」
「だ、だけどよぉ…」
「お前が不愉快なのもわかるが、この状況じゃお前の分が悪い」
霧骨のこの顔では、娘が舐めたというのはかなり信じがたいものがある。
霧骨はまだおさまらない様子だったが、煉骨に一睨みされて押し黙る。
そのまま、ずるずると出口まで引きずられた。
「煉骨さん、また来てくださいましね」
見送りに出た煉骨付きの遊女が、小さく手を振った。
むすっとした霧骨を脇に伴って歩く煉骨は、深くため息を吐く。
何だってこんな朝早くに、俺は醜男(ぶおとこ)引き連れて歩かなきゃならないんだ。
秋の早朝は寒い。宿に帰っても、まだ誰も起きていないだろう。
本来ならばまだ、あの寝心地の良い布団の中にいたはずなのに。
「手間をかけさせる……」
苦言を漏らすと、霧骨がしゅんと項垂れた。
「だってよぉ…本当に、あの女が…」
本気で落ち込んでいるようだ。どうやら、嘘をついていたわけではないらしい。
「おい霧骨。改めて、どういう経緯であの状況になったのか説明しろ。俺が納得できるように」
煉骨に促され、頭の中でしばし整理した霧骨は、ゆっくりと話し始めた。

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