町から少し離れた、森の中。
澄んだ川のほとりで、転がるように遊んでいる小さな影がある。
辺りは灯かりもない暗闇なのだが、そんなことは全く気にしていない様子だ。
「おぅ~い! もうすぐだぞぅ!!」
「もうすぐ流れてくるぞぉ!!」
てとてとと川の瀬に行き、目的のものが流れてくるのを今か今かと待っている。
闇を見通すその視界に、それは映りこんだ。
「来た!!」
小妖怪たちは上流から流れてきた笹を取り上げ、岸へずるずると引きずった。
「今年は短冊が多いぞ」
「どれから読もうか」
小妖怪の一匹がぶちりと短冊を取る。
「きったない字だなぁ……ん~? いい男に巡りあえますように、だって。
こいつ男のくせに、変なお願いしてるよ」
この時季の彼らの楽しみは、こうして笹についた短冊を好き勝手に物色すること。
毎年そんなことをされているとは知らない人間たちは、面白いくらい真面目に願い事を書いてくる。
浅はかなものから、ホロリとくるものまで実に様々。
しかし人間の世のことなど妖には全然関係ないので、本当にただ、読んで楽しむだけだ。
願いが叶うように力を貸してやる気など、さらさらない。
「食い物が欲しい」
「女が欲しい」
「静かにしてほしい」
「医者がいらない」
「羅刹がいらない」
「なんだこいつら、初めての臭いだからきっと旅人だろうけど、願い事が単純だったり意味不明だったり…」
「わかりやすく書いてほしいよな~」
妖怪たちは短冊に残った僅かな香りで、誰が書いたものかを把握できる。
町の者ならぴたりと言い当てられるが、旅の者については顔を見るまでわからない。
「あ、これも旅のヤツだけど、こっちはけっこうマトモだ。
『朔夜を幸せにしてやりたい』だってよ」
「いいねぇ~、他人のことを願えるってのは」
「でも、他の人に読まれたら小っ恥ずかしいな」
「見られたくないから、天辺についてたぜ」
「どうやって付けたのかな」
うーんと考えていると、小妖怪の一匹がある短冊を見つけた。
「あ、これ。義行のやつだよ」
「ああ、あの、金持ちながらそれを鼻にかけない見上げた青年の、義行か」
「そうそう、それ」
「何て書いてある?」
「字が滲んでてよく見えない……えーと」
読もうとした時、他の妖があっと声を上げる。
「もっと意味がわかんないのがあったぜ!」
小妖怪たちは一斉にそちらに興味を示した。
「どういうの?」
「これこれ」
小さな手に持った短冊を高く掲げる。そこに書かれてあるのは。
『ばれませんように』
書き殴るように、記してあった。
これを見た妖たちが一様に首を傾げる。
「何が、『ばれませんように』なんだろう?」
「これ、誰のだ?」
疑問に思った妖怪の一匹が、短冊に鼻を近づけてヒクヒクと動かす。
「…千太のだ」
「千太? 今は義行ん家で働いてるよなぁ?」
「何を隠してるんだ?」
うーんうーんと頭を悩ますが、こればかりは考えてわかるものでもない。
ついに、一匹がぱんと手を打った。
「探りに行こう!」
わからないことは目で見て確かめるまで。
長命な妖たちには時間など余るほどあるのだ。
惜しむことなく、興味の向いたことにいくらでも費やせる。
小さな妖怪の言葉に、周りの小妖怪たちもオーッと手を振り上げた。
酒宴も終わり、皆が満足そうに熟睡している頃。
枕元を何かが動く気配を感じて、蛮骨はのろのろと目を開けた。
本当に微かだが、足音のようだ。それが二つ三つほど重なって聞こえる。
虫でもいるのだろうかと初めは無視していた蛮骨だったが、次第に鬱陶しくなり、布団の中から手を伸ばしてぐいとそれを掴みあげた。
感触は、ふにふにと軟らかい。
ますます眉をひそめながら見えるように持ってくると、なんともつぶらな瞳と目が合った。
「………」
「………」
見詰め合うこと数秒。
思わず眠気も忘れて飛び起きた蛮骨は、逆さまにされている小さな物体を両手で掴み、上から下までじっくりと眺め回した。
「な、なんだよぅ、やめろよぅ!」
手の中でじたばた暴れる小さなものが、声をあげる。
腕に抵抗を感じて下を見ると、他にも小さい者たちが必死に袖を引っ張っていた。
「小丸をはなせよぅ!!」
「はなせぇー!」
一瞬、これは夢かと思った蛮骨だが、やはり現実のものだ。
暗くてよく見えないので、蛮骨は小さなものをまとめて抱え上げるとこっそりと部屋を出た。
月明かりで明るい縁側に行き、改めてそれらの姿を見下ろす。
全部で三匹。
涙目でこちらを見上げる者たちは、間違いなく妖怪の類だった。
小さな角を備えた者や尻尾が分かれている者、はたまたただの球に手足がついたような者までその外見は様々だが、大きさはどれも手の平にのるくらいのもの。
「……お前ら、妖怪か?」
「そ、そうだぞ。怖かったら手をはなせ! 噛み付くぞぉ!!」
凄んで見せているが、恐怖は微塵も感じない。
とりあえず球のような妖怪を人質にとっておき、後の二匹を解放する。
「人の安眠を妨害しやがって、何の目的で来たんだ」
「調べものに来ただけだ!!用があるのはお前じゃなくて、千太だ!」
「あの奉公人に何の用だ?」
「あいつが何かを隠してるんだ!!」
「そんなこと言って、本当はあいつの眠りも邪魔しにいくんだろ。
イタズラ妖怪は小さかろうとも成敗しちまうぞ」
「本当だってば! 千太が短冊に、怪しいことを書いてるんだって!」
頭に小さな角のある妖が、短冊を取り出しひらひらと振ってみせる。
「なんで短冊なんか持ってるんだ…」
それを受け取り、蛮骨もその字を読んだ。
「『ばれませんように』……?」
苛立っていたのか、字が乱暴だ。 確かに何を隠しているのか多少は気になる。
「でも、俺にもお前たちにも関係ないことだ。さっさと帰りな」
蛮骨から短冊を取り返し、小妖怪たちはぶんぶんと首を振る。
「人間の指図なんか受けるもんか! 俺たちはやりたいことをやるんだぁー!」
聞き入れない妖たちに頭を抱え、蛮骨は口を開く。
「蒼空」
妖怪たちは意味がわからず一瞬動きを止める。
数瞬後に、庭に巨大な狼が現れた。
その姿に妖たちの顔が引きつる。
蒼空は蛮骨のもとへ歩み寄るとひとつ尻尾を振った。
「こんな時間に、何か用?」
蛮骨は人質にしている丸い妖怪を差し出す。
「こいつら、危ない妖怪か?」
問われて、蒼空は小妖怪に鼻を近づけた。 妖がヒイッと悲鳴をあげる。
「大丈夫、害はないよ」
顔を上げた蒼空は他の二匹も見やりながら告げた。
それを聞いて蛮骨は人質の妖怪も解放してやる。
三匹の妖怪たちは抱き合いながら無事を喜び合っている。
すぐさま逃げようとした彼らを、狼が呼び止めた。
「お前たち、名前を教えていけ。名前を聞いておけば、悪さをした時にすぐに調べられるからな」
びくりと身をすくませながらも、三匹はおずおずと答えた。
「小丸」
丸い妖怪が名乗る。次は二股の尾を持つ四足の妖だ。
「舜」
「一角」
最後に頭に角のある妖怪が名乗った。
「お、俺たちが名乗ったんだ、お前も名乗れよぅ」
蛮骨を指差し、小丸が言う。
蛮骨は小さく息をつくと、言われたとおり名を名乗った。
「蛮骨か、よぅし覚えておくからな。小妖怪をいじめたら承知しないからなー!!」
「はいはい」
早くいけ、と言わんばかりに手を振ると、小妖怪たちは踵を返してたかたかと走り出す。
と、一角が呼びもしないのに振り向いた。
「そう言えばお前だろぉー!あの小っ恥ずかしい願い事書いたのー!!」
蛮骨の表情が音を立てて固まる。
一角に便乗するように、舜も叫んだ。
「見られるのが恥ずかしいから、あんな高いところに引っ掛けたんだろー!」
追い討ちに、小丸もべぇーっと舌を出す。
「俺たちに何かしたら、皆に言い触らしてやるからなー!!」
小さな妖怪たちの姿は、闇に消えていった。
「………見たのか」
固い顔をした蛮骨の小さな呟きに、蒼空が顔を上げる。
「何て書いたのさ」
「うるさい。それよりお前、もう帰っていいぞ」
「えっ、用事ってこれだけ!?あいつらが危険かどうか調べるためだけに呼んだの!?」
「当たり前だろ! 屋敷の人間に見つかったら事だから、早く帰れ」
「ひどいなぁ…」
背中を押す蛮骨をじとりと睨みながら、蒼空は渋々去っていく。
それを見届け、蛮骨も再び眠りにつくべく、欠伸混じりに部屋へ戻った。