そのに映るもの

淡い色の秋空が広がっている。
風はやや冷たいが、何か羽織らねばならないほどでもない。
賑やかに活気付く通りを、蛮骨と睡骨は島屋に向かって歩いていた。
つい数刻前に起こった一件のおかげであまり眠れてないが、昨日はそれほど疲れていたわけでもないので、(さわ)りは無いだろう。
この大通りを過ぎたら、島屋が見えてくるはずだ。
蛮骨は、ちらりと隣の睡骨を見やった。
珍しく医者が前に出ている彼は、いささか緊張している風にも窺える。
大丈夫なんだろうかと胡乱な顔をしていると、睡骨が不安そうな面持ちを向けてきた。
「あの……本当に、私が行っていいのでしょうか?」
「仕方ねぇだろ。皆それぞれに仕事探しに行ってるんだし。手が空いてるのはお前だけなんだからよ」
「で、ですが…もしも、暗殺の依頼とかだったら……」
「その時は、俺一人でやる」
頼りない医者ができる仕事など、限られているだろう。もとから当てにはしていない。
本当は今回も煉骨を連れて行くつもりだったのだが、先日の島屋の対応もあって、(かたく)なに断られてしまったのだ。
人知れず嘆息した時、医者が前方を指差した。
「あ、島屋さんて、あそこじゃないですか?」
大通りを過ぎた道である。だがその店の前には、何やら人が集まり、賑やかだった。
大層立派な構えの店である。店そのものも大きいが、その奥に繋がる屋敷がまた広大だ。
敷地がぐるりと塀で囲まれており、辺りの家々とは一線を画している。
店の前に旦那の姿を見つけ、蛮骨は声をかけた。
「おお、蛮骨どの! お待ちしておりましたぞ!
いやあ、先日はお恥ずかしい姿を晒してしまい、申し訳ない」
「これから出かけるのか?」
蛮骨は周囲を見回しながら尋ねる。
店の前に集まっているのは、皆ここで働く者たちや、縁者のようだ。
「ええ、家の者総出で出掛けねばならないのです。
それほど遠くないのですが、荷が多いので人手が入り用でして。
三日ほど帰れぬのですよ。そこで、蛮骨さんたちに依頼を」
蛮骨と睡骨は顔を見合わせた。荷物運びに付き合えと言われるのだろうか。
だが、島屋の旦那は店の向こうの屋敷を指し示す。
「妻と娘を残していくので、私らが帰るまで世話をしてやってください」
「は?」
予想していなかった旦那の発言に、蛮骨は思い切り怪訝けげんな声を発してしまった。
「妻も娘も持病を抱えておりまして、共に連れて行くことはできないのです。
報酬はうんと弾ませますので、何卒、二人をよろしくお願いします」
「は、はいっ」
頭を下げる睡骨の横で、蛮骨は口をぱかりと開けて呆然としている。
依頼を告げると、島屋の一行は速やかに出発してしまった。
「良かったです。物騒な依頼じゃなくて…持病もちだというなら、私には向いてますし…」
ほっとした睡骨が振り向くと、蛮骨は青くなってよろめいた。
「蛮骨さん!? あわわ、大丈夫ですか!」
「女子供の…世話……」
おかしいな、これは以前に覚えがあるぞと、蛮骨は引きつった笑みを浮かべて睡骨に寄りかかった。

何はともあれ家に入ってみようと、店の奥から屋敷に続く渡り廊を歩く二人。
睡骨は、出掛けに旦那から渡された、家の見取り図を眺めた。
大雑把ではあるが、必要な部屋の配置は分かるようになっている。
「本当に広いお屋敷ですね。見取り図がないと迷ってしまいます…」
二人は、旦那の妻がいる小部屋を目指す。
寝込んでいる時は、一日のほとんどをその部屋で生活しているのだそうだ。
部屋の前に立つと、睡骨が中に呼びかけた。
「奥様、失礼してもよろしいですか」
わずかな咳払いが聞こえてきた。ややあって、中から声が返る。
「どうぞ」
静かに襖を開け、蛮骨と睡骨は部屋に踏み入った。
日当たりの良い、小さな部屋の中央には布団が敷かれており、その中で女性が身を起こそうとしている。
睡骨が背中を支え、微笑んだ。
「どうぞ、横になられたままで構いません。
私たちは、旦那さまに雇われた者です。お話は伺ってますか?」
「はい、主人から聞いております。あの…私よりも、娘を…どうか宜しくお願いします」
「そういえば、娘はどこにいる?」
蛮骨が首を傾ける。
持病もちだと言うから、てっきり母親のように寝込んでいるのかと思ったのだが、見取り図には居場所が記されていなかった。
「娘は多分、自分の部屋にいると思います…。廊の突き当たりです…」
では一応娘にも挨拶をしておくかと、蛮骨は立ち上がる。
「蛮骨さん、先に行っててください。私は少し、奥様の容態を診てますので」
頷いて部屋を出て行く蛮骨を見送り、視線を戻した睡骨に、母親が二、三度瞬きして尋ねた。
「睡骨さまは、お医者様ですか…?」
「はい」
にこりと笑む睡骨に安心して、母親は目を細める。
「娘さんもご病気だと聞いていますが…どのような?」
「ええ…あの子は、その…」

母親に言われた部屋の襖を開けた蛮骨は、僅かに目を見張った。
娘の部屋だと言うその場所は、想像していたよりもよほど質素だった。
飾りと呼べる物はなく、これが裕福な島屋の家の中かと思えるほどである。
「……だぁれ?」
はっとして視線を動かすと、庭に面した縁側に、一人の童女が座っていた。
年の頃は五つか六つといったところか。
話しかけてはきたものの、こちらを向いていない彼女を訝りながら、蛮骨は近づいた。
「三日ほど、お前と母さんの世話を頼まれた」
すぐそばに膝を付くと、少女はゆっくりとこちらへ首を巡らせた。
「父さまは…」
「もう出かけた」
少女は黙り込む。こちらを向いても、彼女は蛮骨の顔を見ようとしない。
怪訝に思いながらも、蛮骨は続ける。
「俺は蛮骨だ。お前の名前は何ていう?」
「……(すず)
「そうか。じゃあ鈴、母さんのところに行こう。これから何をすればいいか、聞かないとな」
蛮骨は腰を上げて、鈴が立ち上がるのを待った。
年の割に物静かだが、受け答えも出来るし、寝込んでいるわけでもない。
鈴の持病とは何だろうかと、蛮骨は内心で首を傾げる。
鈴はゆっくりと立ち上がった。
だが、何となく様子がおかしい。一歩踏み出すこともなく、手をあても無く彷徨さまよわせている。
「…鈴?」
「お兄ちゃん、ど…こ…?」
呟きながら、鈴は蛮骨がいるのとは全く違う方向へ進んだ。
目を瞠る蛮骨の前で、小さな足が縁を踏み外し、がくんと身体が落ちかける。
「ぁ―――!!」
咄嗟に手を伸ばした蛮骨が、危ういところで少女を引き戻した。
「大丈夫かっ!?」
血相を変える蛮骨の腕の中で、鈴は小さく頷く。
ほぅと息をつき、蛮骨は少女と視線を合わせた。
目の前で手を振ってみる。しかし、鈴の目は一点に定まったまま、動かない。
たった今湧いた予感が確信に変わり、蛮骨は息を詰めた。
「お前、目が……」
鈴はこくりと頷いた。
「みえないの……」

蛮骨は、鈴の手を引いてゆっくりと母親の部屋まで戻った。
睡骨が、深刻な表情で鈴を見つめている。母親から、鈴のことを聞いたのだろう。
「母さま…」
伸ばされた手を、母がしっかりと握り締める。
「どうしたの、鈴」
「父さまは、出かけてしまったのね……鈴も母さまも、おるすばん…?」
「ええ、そうよ……父さまの仕事だから、仕方ないのよ。
お兄ちゃんたちの言うことを、ちゃんと聞いてね」
「はい」
童女の髪を撫でる母親を眺めながら、蛮骨は小声で睡骨に問う。
「母親の容態は?」
「はい、確かに重い病のようですが、私の調合する薬なら、何とかなるかもしれないんです。
彼女にも話してみましたら、ぜひ試したいと」
「そうか。なら、お前は母親の世話をしていろ。面倒だが、俺は娘を見ててやるよ」
「はい」
睡骨は苦笑混じりに頷く。
面倒なのは本心かもしれないが、蛮骨は思いのほか子供の扱いが上手なのだと、煉骨から聞いたことがあった。
自覚はしていないが、子供嫌いというわけでもないらしい。
「しかし、もしも途中で羅刹らせつの面が出てしまったら、どうしましょうか…」
「仕方ない。俺が手刀でも食らわせて、またお前を呼び出すさ」
「は、はぁ…」
僅かに青ざめ、睡骨は羅刹が出てこないようにと切に願った。


鈴の相手をするのも仕事だが、二人の世話をするということは、炊事や洗濯などもしなければならないのだということに、蛮骨はしばらく経ってから気付いた。
出来ないことは無いが、得意なわけでもない。
もっと仲間を連れてくるべきだった。だが、もう皆仕事を見つけているだろうから、呼び出すことも出来ない。
うう…と唸って頭を抱える蛮骨の横では、鈴が大人しく座っている。
手に、まりを抱えていた。
「よし」
蛮骨は手を膝に当てて立ち上がる。
睡骨に全部押し付けるわけにもいかない。せめて洗濯ぐらい、自分がやらなくては。
井戸を探しに行こうとする蛮骨のそでを、鈴が掴んだ。
「ん? どうした、鈴」
「お兄ちゃん、どこへ行くの…?」
「洗濯しにいくだけだ」
「わたしも、行きたい」
蛮骨は逡巡した。確かに、鈴からは目を離さない方がいいのだろうが、庭にいるのは建物にいるよりも危険だと思える。
大人しくここに座っていてくれるなら、正直、そっちの方が有難ありがたい。
だが、鈴は袖を放さない。見えない瞳を、じっと蛮骨に向けている。
はぁと息を吐き、根負けした蛮骨は童女の小さな手をとった。
鈴はぴくりと肩を動かす。
「連れてってくれるの…?」
「そうして欲しいんだろ」
怪訝に首を傾ける蛮骨だが、鈴が満面の笑みを浮かべて頷くのを見てわずかに目を見張る。
笑った顔を見るのは、初めてだ。
蛮骨の手を握って庭に下りた鈴は、嬉しそうに彼を見上げた。
鈴の歩調に合わせて広い庭を歩き、蛮骨は井戸を探す。
中庭と思しき場所に、それはあった。物干し竿なども備え付けられている。
「じゃあ鈴、俺は洗濯物を持ってくるから、ここにいてくれるか」
「うん」
踵を返そうとした蛮骨の耳に、そのとき声が届く。
「おぅーい!」
「ばーんーこーつー」
「んん?」
何やら聞き覚えのある声に、蛮骨は眉を寄せる。
「こっちだよーぅ」
声がする木の上を振り仰ぐと、すぐそこの枝に、いつかの小妖怪たちがいた。

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「ああっ、お前たち! えーと…」
目を剥き、咄嗟に名前が出てこない様子の蛮骨に、球のように丸い妖怪がやれやれと首を振る。
「おいおい、自分で言うのもなんだが、覚えやすい名前なんだからよー。簡単に忘れないでくれよぅ。」
小丸こまるしゅん一角いっかくだよー」
「俺たちはしっかり覚えてるのになー」
よっ、と小丸が蛮骨の左肩に飛び降りる。
「久しぶりぃ!」
「な、何でお前らがここに?」
この三匹は、七夕の折に出会った妖怪たちだ。
その後もあの町にいるものだとばかり思っていたので、訳が分からない蛮骨は口を開閉している。
「まあ、俺たちもよぅ、あの事件を機に、人間の世にも興味が湧いてなぁ。
こうして三匹、放浪の旅に出てみたってワケよ」
「で、偶然、お前を見つけたと」
頭に小さな角を持つ一角が、右肩に飛び移る。続いて舜が、頭の上に乗ってきた。
「なぁなぁ、あの子供は何だ?」
一角が小さな手で、鈴を指差す。
「蛮骨の隠し子かー?」
「馬鹿言うなっ! 仕事で面倒見てるだけだ!!」
怒号すると、小丸たちはにやにや笑って蛮骨から飛び降りた。
彼らは鈴に近寄り、まじまじと彼女を眺める。
突然新しい声が生じたため、鈴は不思議そうな様子だ。
「お兄ちゃん、今の声はなぁに?」
「俺たちだよー、分からないのかー?」
足元で小丸が声を上げると、鈴はゆっくりと膝をついた。
手を伸ばし、小丸を両手で抱き上げる。
「これはなに…?」
蛮骨は一瞬、返答に困った。鈴の手の中で、小丸がばたばたともがいている。
「捕まったーっ!! 蛮骨っ、助けてくれぇ!」
「小丸ぅー!」
瞬と一角がおろおろしている。
蛮骨は額に手を当て、鈴と目線を合わせるように身をかがめる。
「鈴、それは…妖怪だ。怖いなら早く放した方がいい」
「妖怪?」
少女は驚いたように瞬いたが、しばしの後に楽しそうに笑った。
「わたし、妖怪、はじめて!ぜんぜんこわくない!」
蛮骨と小妖怪たちの視線が無言で交差する。
「そ、そうか…。うん。じゃあ、丁度良いからお前たち、鈴をちょっと見ててくれ」
「ええっ!? そんな、蛮骨ぅー!」
三匹の叫びも空しく、蛮骨はさっさと洗濯物を取りに戻ってしまった。
「なぁ、放してくれよぅ!」
小丸が必死に手足を動かすと、鈴は素直に従った。
「ごめん、なさい…」
解放された小丸は、足元に落ちている鞠を少女の手に乗せる。
形も大きさも、小丸とよく似ていた。
「ありがとう」
「綺麗な鞠だなぁ」
「父さまからもらったの」
大事そうに抱え、鈴は微笑む。
目が見えないために突いて遊ぶこともできず、鞠は新品同様に綺麗なままだ。
「そういえば、この家はやけに静かだなー。
こんだけ広いと、使用人やらがうようよしてると思ったのに」
一角が首を巡らせ、しんとした屋敷を眺め渡す。
「みんな、出かけているの。わたしは目が見えないから、いつもおるすばんよ」
そこへ、洗濯物を入れた桶を抱えた蛮骨が戻ってくる。
井戸から汲み上げた水を桶に移す蛮骨を、一角たちが興味深げに眺めた。
袖をまくり、桶に手を突っ込んで着物を洗っていく蛮骨。
その様子をしげしげと観察していた三匹は、顔を見合わせて何やら頷くと、桶の中にひょいと飛び込んだ。
そのまま桶の中で跳ね回る。
「ええい、うっとおしい! お前ら何がしたいんだ!!」
「だってよぉ、楽しそうじゃんか」
「楽しいもんかよ。こんな季節じゃ、手が冷たいだけだ」
だが三匹は、大して寒そうでもない。人間と妖怪では、体感温度に差があるのだろうか。
着物の上でぱしゃぱしゃとはしゃいでいる小妖怪たちに、蛮骨は投げやりに息をつく。
「だったらお前たち、そのまま着物を踏んでろよ。周りは汚さねぇようにな」
三匹で踏み続ければ、自然と汚れも落ちるだろう。
「おーぅ!」
「任せとけー」
何が楽しいのかと三匹を横目にしている蛮骨のもとへ、音を頼りに鈴が歩み寄ってくる。
転びそうに危ういその足取りに気付いた蛮骨は、慌ててその手を取った。
「無闇に歩くと危険だろ。どうした?」
「ねぇ、お兄ちゃん。わたしも、やってみたい…」
「え、洗濯をか? どうして……」
蛮骨は困惑気味に眉を寄せる。すると横から、小妖怪たちが口を出した。
「いいじゃねーかー。やりたいならやらせてやれよー」
「ほら、こっちこいよー」
声につられて鈴が桶の方に手を伸ばすので、蛮骨は仕方なく袖を捲くってやる。
桶の水にそっと手をつけた鈴は、その冷たさに一瞬ひくりとしたが、みるみる笑顔になっていった。
蛮骨は不思議そうに、水に手をつけて遊ぶ童女を見下ろす。
子供のすることは唐突で、後先を考えないので解しにくい。
だが、今はとりあえず、彼らの気が済むまで遊ばせておいてやろうと思った。

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