人通りの多い町中を避け、蛮骨はのどかな川原の土手を歩いた。
久々に屋敷の外に出たらしい鈴は、上機嫌で隣を歩いている。
景色は見えないが、木の上で鳥が鳴いたり、草の間から虫の声が聞こえるだけで、嬉しそうな様子だ。
柔らかな草の茂る斜面に、彼らは腰を下ろす。
手を伸ばして、鈴は草やそこに咲く花を触った。
くすくすと笑って、こてんと草むらに横になる。蛮骨の肩を離れて、小丸たちも草の上をころころと転がった。
大きく息を吸う少女の澄んだ瞳に、流れる雲が映っている。それを認めて、蛮骨も空を仰いだ。
昨夜、鈴を寝かしつけた後に、母親から聞かされたことを思い出す。
咳き込みながら、ぽつりぽつりと語った言葉。

『しかし、いくら何でも、初対面の俺たちだけを二人の世話に回すのは、あんまり物騒じゃねぇか。金持ちなんだし、使用人を置いていけば良いものを』
いまだに納得がいかない蛮骨が首を傾げると、横になった母親が顔を向けてきた。
『人手が入り用ですので、仕方が無いのですよ。それに今は、世話に回れるような器用な使用人もいません』
『今までは、誰がお二人のお世話を?』
『乳母がいたのです…。しかし先日、病で亡くなってしまい…。
今回の遠出のことで、店も慌ただしい中でしたので、新しい乳母を探す時間もなく』
蛮骨と睡骨は顔を見合わせた。
本来ならば、その乳母が二人を()ているはずだったのだ。
『お二人のことは十分に信頼しています。蛮骨さんは鈴をよく看てくれますし、睡骨さまは薬を作ってくださって…』
でも、と母の顔が曇る。
『あの子は…鈴は、乳母にとても懐いていましたから…きっと淋しい思いをしていることでしょう』
慌ただしい中、乳母の代わりに彼女の相手をしてくれる者は、誰もいなかった。

「お兄ちゃん」
呼ばれて、蛮骨は視線を鈴に戻す。
「これは、なでしこって言うんだよね」
少女の指が触れているのは、淡い桃色の花だ。
花にはあまり詳しくない蛮骨だが、たぶん撫子で合っているのだろうと、思う。
「よく知ってるな」
鈴は指先で花の形を確かめながら、微笑む。
「乳母やにおしえてもらったの。お屋敷のそとにはあまり出れないけど、乳母やが摘んできてくれたの」
「そうか」
目を細めて見ていると、鈴はそこに咲いている撫子の茎を一つ二つと摘み始めた。
「母さまにもってかえってあげるの。あとね、これはお兄ちゃんのぶんよ」
「え…」
鈴が笑って差し出す撫子に、蛮骨は目を瞠る。
これは睡骨さまのぶん、と彼女はまた一茎摘み取る。
「父さまも、欲しがるかなぁ」
ふいに、鈴は手を止めて困り顔になった。
「どうした、父さんのぶんも摘めばいいだろう?」
「でもね、父さまは、ほしいものは何でも持っているもの。こんなお花をあげても、よろこんでくれるかなぁ」
不安げに顔を俯ける鈴。蛮骨は、その頭を一撫でして笑った。
「鈴から貰うなら、何でも喜ぶんじゃねぇかな」
親になったことがないから分からないが、そういうものではないかと思う。
蛮骨の言葉に、鈴はぱっと顔を上げて微笑んだ。
うんと頷き、父親のぶんの撫子を摘み取る。
「父さまは、お仕事がいそがしいから、あまり会えないの。
私の目がみえたら、自分でお店に、会いにいけるんだけど…」
同じ屋敷にいても、鈴は自室にこもりがちだ。付き合いもあって夜遅くの帰宅が多い父親とは、なかなか顔を合わせられないらしい。
屋敷に似合わぬ質素な部屋で、遊び道具といえば父から貰った鞠が一つ。
ひそかに抱える孤独の中で、鈴は何を思って生きているのだろうと、蛮骨は考えた。
と、土手の上の方から、数人の子供たちが下りてきた。鈴と同じくらいの年頃である。
見ていると、彼らは川原できゃいきゃいと遊び始める。
楽しそうな声を耳にして、鈴は二、三度瞬いた。
「鈴、友達は?」
問うと、彼女はふるふると首を振る。
「お屋敷からは、あまり出してもらえないから…」
しかし、はしゃぐ子供たちの声を聞いてそわそわしているのが窺える。
この年の子供ならば当然だ。遊ぶのが仕事といっても良いくらいなのだから。
「じゃあ、あいつらの仲間にいれてもらおう」
「えっ…?」
驚く鈴の手を取って、蛮骨は立ち上がる。
戸惑う彼女を連れて行くと、遊んでいた子供たちが不思議そうに振り返った。
「この子、だれ?」
「鈴っていうんだ。お前たちの仲間に入れてやってほしい」
蛮骨の影に隠れる鈴の背を押し、蛮骨は子供たちと視線を合わせる。
鈴の目のことも包み隠さず教えると、子供たちは気さくに笑って鈴の手をとった。
「うんっ、いっしょに遊ぼう」
「で、でも…」
同年代の子供と付き合うことに慣れていない鈴は、不安に揺れる瞳を蛮骨の方に向ける。
「大丈夫だ。俺はそばで見てるから、遊んで来い」
小さく笑って背中を叩くと、鈴はこくりと頷き皆と共に輪を描いて草むらに座った。
撫子を預かり、蛮骨は少し離れた場所に腰を下ろす。
子供はたくさんの遊びを考え出すから、目の見えない鈴ができる遊びもきっとあるだろう。
他の子と戯れることは、自分の隣で黙っているよりずっといい。
のどかな日差しの下、欠伸を噛み殺しながら、蛮骨は子供たちのはしゃぐ声を聞いていた。

陽が傾く頃に、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
半分眠りかけていた蛮骨は目を覚まし、慌てて鈴に視線を向ける。
彼女はまだ、子供たちと一緒に遊びに興じていた。
「大丈夫だぜ~。お前が眠りこけてる間も、俺たちがしっかり見てたからよぅ」
膝の上に陣取っていた小丸がヘヘンと笑った。
「そりゃ、ごくろうさん」
小妖怪を無造作に払いのけると、蛮骨は鈴を迎えに行った。
「鈴、そろそろ帰ろう。雨が降ってきた」
「うん。みんな、またね」
鈴が小さく手を振ると、他の子たちも笑ってそれぞれの家へ帰っていった。
「お兄ちゃん、お友だち、たくさんできたよ。ありがとう」
手を繋いで帰りながら、鈴はにっこりと蛮骨を仰いだ。
「良かったな。また、遊べるといいな」
「うんっ」
「いいねぇ、いい絵だねぇ」
「おうおう、まるで親子。蛮骨は子煩悩な親になりそうだなぁ」
「おーい蛮骨、早く朔夜と子供つくっちまえよ~」
耳元でどこぞの親父のような会話を繰り広げる三匹に、蛮骨は顔を赤くして怒鳴る。
「お前たちは、もっと可愛げのあることは言えないのか―――!!!」
怒声に小妖怪たちが吹飛ばされる。
「やーい、怒った怒った」
小丸たちはぴょんぴょんと飛び跳ねながら、屋敷へ逃げ去った。
気がつくと、空から落ちてくる雨の粒が大きくなっている。
蛮骨はそっとため息をついて、鈴を抱え上げた。
彼女の歩調に合わせていては、本降りになってしまう。濡れ鼠になる前に、屋敷へ戻りたい。
「走るぞ、掴まってろ」
「うん」
小さな手が、着物の肩を掴む。それを確認して、蛮骨は駆け出した。


 

どうどうと、滝のような雨音が夜闇に響いている。
夕餉を済ませた蛮骨は、鈴と共に彼女の部屋にいた。
灯火の揺れる室内は、質素なためかさらに暗く感じる。
島屋は裕福なのに、どうしてこの部屋には華やかなものが何も無いのだろう。
(所詮、目が見えないのに何を与えても無駄、か……)
旦那の考えを予想して、どうにも苛立っている自分がいる。
(他人のことだ、考えても仕方ない)
息を吐いて(かぶり)を振った刹那、外が白く光った。次いで、轟音が叩きつける。
鈴の身体がびくりと震えた。
見えない視線を彷徨わせる様子から、自分を探しているのだと気付き、その頭に手をのせた。
「怖いか?」
「こわい…」
かたかたと震えている。音しか感じられないために、必要以上に恐怖心が生まれるようだ。
とは言っても、相手が雷では、止めようと思って止めることもできない。
ここは早々に寝かしつけた方が良いだろうと、蛮骨は部屋に布団を引いた。
鈴も素直にその中へ潜り込む。
「雷がなるのは、神さまが誰かをしかってくださってるからだって、乳母やが言ってたの…」
「ああ、きっと今も、誰かが悪さをしてるんだろうな」
頷いて額を撫でてやると、うとうとと少女の瞼が下りてくる。
昼間に遊んだ疲れもあってか、鈴はそれほど経たぬうちに規則正しい寝息を立て始めた。
しばらく雨の音だけを聞いていると、蛮骨にも眠気が襲ってきた。
欠伸をしながら腕を伸ばしていると、暗闇から小丸たちが現れた。
「お前も眠っていいぜ~。見張りは俺たちがやってやるよ」
「結構疲れてそうだしな~」
「ほんとか? じゃあ、頼むぜ」
少し寝て、また起き出すことにしよう。
片手を挙げると、蛮骨は鈴の隣に横になる。畳の上だが、また布団を敷くのも面倒だった。
見張りを引き受けた小妖怪たちは玄関先へ向かい、三匹並んで腰をすえた。
雨と、時折雷の音がするだけである。
三匹はじぃっと、ひたすらそこに佇んでいた。

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