掌中之珠しょうちゅうのたま

七人隊は旅の途中で見つけた空き家に腰を落ち着け、のんびりと過ごしていた。
今のところ仕事は入っておらず、旅を急ぐ必要もない。
ずっと仕事が来ないのも困るのだが、今のところは皆それぞれに久しぶりの休暇を過ごしている。
時分は夏の盛りを過ぎた辺りで、まだまだ暑い。
そのため、暇を持て余しているような者たちは川へ行って涼んだりもしている。
家の中には、蛮骨一人しかいなかった。
一人、窓を開け放った部屋の中で文台に向かっている蛮骨を、庭先から白い狼が興味深げに眺めている。
「何を書いてるんだ?」
「んー?手紙」
口をきいた狼に、蛮骨は筆を走らせたままで答える。
「誰に」
「さぁ、誰にでしょう」
適当な返事を返されて、狼はむっとする。
しばらく無言でいると、蛮骨が小さく笑って狼をかえりみた。
朔夜さくやにだよ。暇なうちに、一度帰っておこうかと思ってな」
「見せて」
「断る」
「いいじゃんか。見せてよ」
庭から精一杯首を伸ばして覗き込もうとする狼を、蛮骨は軽く押し返した。
「ケチだなぁ」
狼は交差した前足に頭を乗せ、ふんと息をついた。
「どーせ、恥ずかしいこと書いてるんだろ。七夕の時みたいにさー」
ぶつぶつと唸った声を聞き、蛮骨が胡乱うろんな顔を向けた。
「お前、俺が短冊に何を書いたのか、知ってるのか?」
狼の背がぴくりと動く。
そうだ。こっそり見たというのは、秘密にしていたのだった。
ちらと視線を巡らせると、蛮骨がじっとこちらを見据えている。
「み、見てないよ。小妖怪たちがああ言ってたから、そうなのかな、て思っただけ」
「本当か」
「本当本当」
ゆっくりと尾を振った狼は、これ以上問いただされないようにと、ごろりと横になった。
庭に横たわった大きな図体を眺め、蛮骨は僅かに目をすわらせた後に再び文台に向かった。
もう少しで文が完成する。もうじき帰れるという内容の文が。
最後の一行を書き終え、蛮骨は文面を見直すと、乾くまで台の上に広げておくことにした。
蒼空そら
呼んだ声に、白狼がぴょこりと耳を立てる。
身を起こし近寄ってきた狼の頭を、蛮骨はおもむろにわしわしと撫でた。
「なんだよ急に」
「いや、何となく」
蒼空は首を傾け、されるままに撫でられている。
こうしていると本当に隼人みたいだと、心の隅でふと思った。
彼よりも不器用な手つきだが、嬉しいなぁと感じる。
最初こそ冷たかった蛮骨だが、今はだいぶ和らいでいるようだ。
たまにだけど、こうして撫でてくれることがある。
心地よさに目を細めていた蒼空は、不意に耳を立ち上げ、空を仰いだ。
「どうした?」
なぎが来るよ」
言われて狼と同じ方向を見ると、しばらくして木々の向こうから一羽の鳥の影が現れた。
「丁度良かった、じゃあ朔夜にふみを持っていってもらうか」
蛮骨のいる縁側に飛来したハヤブサは、ひょいと足を差し出す。
「あれ、文が来てるのか」
そこに括りつけられた紙を解いて、とりあえず朔夜への文を脇に置く。
今のうちに見てやろうと蒼空が覗き込むが、文は細く畳まれていて、内容が見えなかった。
「むむむ……」
残念ながら狼の足では紙を広げられない。
渋々諦めた蒼空は、凪が持ってきた文に目を通す蛮骨を見上げた。
「どういう内容?」
「……大至急応援求む、だと」
ということは、どこかの城からの仕事の依頼だ。
文面を読み返す蛮骨の顔が浮かない。仕事が入ってくるのはありがたいのに、何故だろう。
しばし考えて、ああ、と得心した蒼空は細く畳まれた文を見やった。
これには、もうじき帰ると書かれている。仕事が入ったのでは、それが叶わない。
「……朔夜への文、無駄になっちゃったねぇ」
一生懸命書いてたのに、と呟く白狼を渋い顔で睨み、蛮骨ははぁとため息をついた。


文を寄越したのは、山一つ越えた辺りにある、小さな城だった。
凪の案内で七人隊が城に着いた時には、すでに領地のいたるところから黒い煙が上がっていた。
「戦は三日後に始まると書いてなかったか?」
天守から煙を眺め、蛮骨は城主に問うた。
「敵方が奇襲を仕掛けて来たのだ。
こちらの準備が万全でないことを見破っていたのだろう。
下では急ぎ対処にあたっているが、危ない状況なのだ。
来て早々済まぬが、さっそく、お主らの力を借りたい」
「……承知した」
肩をすくめ、蛮骨は煉骨に視線を向ける。頷いた煉骨は、仲間へ知らせに階下へ去っていった。
「戦場にいるのは、敵兵の一部にすぎねぇだろ。
本当に戦を始めるのは三日後で、今回は小手調べといったところだろうな。
まぁそれでも、こっちには大層な痛手のようだが」
一対一になり、蛮骨からの視線を受けた城主は、苦い顔をして唸った。
「もともと、こちらが圧倒的に寡兵だったのだ。それで七人隊に応援を頼んだのだが……」
ただでさえ少ない兵を、小手調べでさらに失うわけにはいかない。
「どうか、よろしく頼む」
「はいはい、報酬は弾ませてくれよ」
蛮骨の余裕の笑みに、城主も少しばかり勇気付けられたようだ。その顔に浮かぶ焦燥が、薄れたように見えた。
蛮竜を抱えて外に出た蛮骨は、すでに待っていた弟分たちを見回した。
「さっそくだが、戦闘開始だ。といっても、本番は三日後だから、怪我は負わねぇよーに。
じゃ、解散」
今か今かと出陣を待っていた面々は、それぞれの武器を手に、喜悦の声を上げて戦場に乗り出した。
「大兄貴っ、一緒に行こうぜ!なあなあ、どこで狩る!?」
蛇骨が蛮骨の腕をぐいぐいと引いていく。
「お前、一人で行った方がいいんじゃねぇの?」
「何でだよー」
「お前の傍にいると、俺まで狩られそうな気がする…」
「大丈夫だって! あ、あの密集してるとこに乗り込もうぜ!」
元気よく蛇骨が指差す先では、無数の兵たちが雄叫びを上げながら戦闘を繰り広げている。
「わかったから、離せ」
「もー、しょうがねぇな」
ぱっと腕を離すと、蛇骨は人の波目掛けて一直線に駆け出した。
「おらおらおらーっ! 蛇骨さまのお通りだー!!」
蛇骨刀を振りかざしながら楽しげに叫ぶ蛇骨に小さく笑い、蛮骨も地を蹴った。
密集の中央に着地し、一気に蛮竜を薙ぎ払う。
凄まじい剣圧に、兵たちが弾き飛ばされ、そのまま絶命した。
「あーっ! そこ、俺が狙ってたのに!!」
一瞬で兵数を減らされ、蛇骨が口を尖らせる。
「うるさい。俺と一緒に狩るってことは、こういうことだ」
にやりと口の端を上げた蛮骨は、その時視界の隅に馬の頭部を捉えた。
馬に跨った兵士に向かって、敵兵が槍を突き上げている。
それらを巧みにぐり、兵は足元にいる敵を蹴散らしていた。
兵は紅い鎧を纏っている。こちらに属する武将の一人なのだろう。
(へぇ、頑張ってるなぁ。こっちも兵が減りゃあ困るみてぇだし、助けてやるか)
蛮骨はそちらに矛先を向けた。
馬を攻撃するのに夢中な兵たちの背後に回り、蛮竜を一閃させる。
紅い飛沫が飛び散った。
馬を囲んでいた兵がばたばたと倒れ、解放された武将が馬上から蛮骨を見下ろす。
「すまない、助かった!」
短く告げ、軽く頭を下げると、武将は馬の首を返して去っていった。
喧騒の中で耳に届いたその声に違和感を覚え、蛮骨は一瞬眉をひそめる。
「でやあああ!」
が、横合いから刀を振り上げてくる敵を叩き斬り、すぐに思考を頭の隅に追いやる。
「蛇骨っ、そっちはどうだ!?」
「もーちょっとで片付くぜ!!」
伸びた刀を引き戻して、蛇骨はにっこりと笑った。
ほんの僅かな時間で、周囲は無数の死体の山だ。
小手調べといっても、敵の数はそれなりに多かったらしい。
一掃し終えた蛇骨がやってくる。晴れ晴れとした表情だ。
「煉骨の兄貴たちのところにも、まだ残ってるかな?」
「どうだろうな、もうあっちも片付いてるんじゃねぇか?」
煉骨たちが向かった方向には、黒い煙が昇っている。
新たに兵が来る様子もない。この辺りはもう大丈夫だろう。
「煉骨や睡骨を手伝う必要もなさそうだな。俺たちは城へ引き上げよう」
「えぇー、俺、殺し足りねぇよ」
「三日したらまた飽きるほど殺せるって」
きびすを返した蛮骨の後に、渋々ながら蛇骨も続く。
二人の去ったあとには、屍の海が残った。

「あっ、睡骨たちも帰ってきたぜ!」
城の敷地内で暇を持て余していた蛇骨は、しばし遅れて戻ってきた者たちを見つけて声を上げた。
その声に蛮骨も振り向き、彼らは仲間と合流する。
「手応えがなくて、何か物足りなかったぜ」
鉄爪をいじりながら、睡骨は眉をしかめている。
「仕方ねぇさ、敵さんだって本気でかかってきてる訳じゃねぇ」
煉骨が肩をすくめる。彼にとっては、火薬をあまり消耗せずに済んだのでありがたかった。
しばし談笑しているうちに、他の兵や武将たちも続々戦場から戻ってくる。
蛮骨のもとに、先ほど助けた武将が顔をみせた。
「先ほどは助かった。何と礼を言えばいいか…」
「いや、気にしなくていいぜ」
紅い鎧で身を固めた武将を、蛮骨はまじまじと眺める。
頭からつま先まで鎧に包まれた身体は、随分と華奢きゃしゃだった。
馬に乗っていたから分からなかったが、背も蛮骨より頭一つ低い。
「お前って……」
何かを言いかけようとした時、別の方向から声がかかる。
勇音いさねさまー!」
呼ばれて、小柄な武将が振り返る。
「ああ、済まない。皆を待たせているので、これで」
勇音と呼ばれた武将は、軽く礼をすると、人ごみの中へ消えていった。
兵たちが徐々に整列していく。七人隊もそれに倣いながら、蛮骨は隣の兵の肩をつついた。
「ん?」
「なぁ、この城じゃ、女も戦に出してるのか?」
「え? ……ああ、勇音さまのことかい?」
蛮骨はこくりと頷いた。
戦場でもちらりと思ったのだが、蛮骨は改めて確信した。
あの武将は女だ。だが、いくら兵が集まらないからといっても、女まで駆り出すのはいかがなものだろう。
蛮骨の胸中を読み取った兵は、小さく笑った。
「勇音さまは、言われて出てるんじゃなく、自分から参戦したいと申し出ているんだよ。
今じゃ指揮をとったり兵をまとめたり、立派な軍人いくさびとさ」
「皆の者、静粛に!」
列の前に置かれた台に上った武将が声をあげ、ざわめいていた兵たちが一瞬で静かになる。
蛮骨は隣の兵から、台に視線を移した。
武将が下り、入れ替わって勇音が台に上る。
「皆、敵の急襲に迅速に対応してくれた。被害を最小に抑えられたのは、皆の力があってこそだ。
三日後に、本当の戦が始まる。それまでに身体を十分休めておくように。では、解散だ」
高らかに声を張り上げた勇音の言を受けて、整列していた兵たちがそれぞれに散っていく。
蛮骨のもとに、再び勇音がやってきた。
「申し遅れた、私は勇音という。今聞いてきたのだが、お前たちがあの七人隊なのだそうだな。
七人隊の応援があるとは心強い」
勇音は兜を外した。結い上げた長い髪が背に落ちる。
鎧の下から現れたのは、二十歳にも満たないだろう娘だった。
どうしてこんな娘が、戦に出たいと言うのだろう。
「俺は蛮骨だ。七人隊の首領をしている」
「え、お前が首領なのか?」
少女は虚をつかれた風情だ。蛮骨は口の端を上げた。
「なんだ、首領はもっとむさ苦しいヤツだと思ってたか?」
「いや、そういう訳ではないが…」
慌てて首を振り、勇音は微笑んだ。
「七人隊のための部屋を用意してある。家臣に案内させるから、城にいる内はそこを使ってくれ」
「おう、ありがたいな」
ごちゃごちゃとした兵舎で寝泊りしなくていいのは、素直に嬉しい。
勇音は傍にいた家臣を呼び、七人を部屋へ案内するよう命じた。
彼女はそのまま去り、七人は家臣である老人のあとについて城の中を進んでいった。
「大兄貴、あの女は?」
勇音の背を見やり、煉骨が問う。
「戦場で助けてやったんだ。勇音というらしい」
「げっ、大兄貴、女助けたのかよ!?くそ~、俺が先に見つけてたらぶっ殺してたのに!」
「おい、ウチの軍の武将だぞ」
「そんなの関係ねぇっての!」
憤る蛇骨を、前を行く老人が心配そうに見つめる。
「あのぅ、勇音さまに危害を与えるようなことは……」
「ああ、大丈夫、あいつにはきつく言っておくから」
蛮骨が苦笑すると、老人は「へぇ」と頷き再び前を向いた。
「こちらがお部屋になります。
蛮骨さまと煉骨さまには、それぞれに他の部屋も用意してございますので」
最初に着いた部屋は、広めの造りで、蛮骨と煉骨を除く者たち用の部屋だ。
蛇骨たちはさっそくそこでくつろぎ、煉骨と蛮骨は家臣に案内されて隣の部屋へ向かった。
「こちらが煉骨さま、その隣が蛮骨さまのお部屋となっております」
「おう、案内ご苦労さん。あ、あんたに聞きたいことがあるんだが」
「何でしょう?」
蛮骨は家臣を部屋に招き入れ、向かい合って座した。
「あの、勇音って女武将だが、あいつはどういう身分なんだ?」
「勇音さまは、この城の姫にございます。
といっても、側室の娘でありまして、正室の娘様が、本来の姫様なのですが。
姫としての立場に居づらいのでしょうか、勇音さまは武芸をたしなみ、
武将として戦に出る道を、自ら進んで希望なさっておられます」
「だが、いくら自分で希望したといっても、姫を戦場に行かせるなんて浅慮じゃねぇか?」
ひとたび戦になれば、姫も何もない。
勇音の身分も、ましてや女かどうかも知らない敵は、容赦なく彼女の命を狙いにかかるはずだ。
「はい…。我々も、当初は猛反対したのですが…。
勇音さまは気がお強く、一度決めたことは絶対に覆さないのです。
困ったお方でしてねぇ…」
深くため息をつきながら、家臣は顔を俯ける。
何となく、勇音という人物が分かってきた蛮骨だった。
「大体わかった。教えてくれてありがとな」
「いえいえ」
にこにこと笑って、老人は部屋から出ていった。
しばらく蛮竜を磨いていると、再び部屋の襖が開いた。
仲間の誰かだろうかと視線を向けると、予想に反して、そこにいたのは勇音だった。
「中に入っていいか」
「何か用か」
「いや。ただ、お前ともっと話をしてみたいと思ってな」
部屋に上がりこんだ勇音は、鎧を脱いで軽装になっている。
だが、着物の裾は短く、袖も肘の辺りまでしかない。
およそ、仮にも姫の身分であるという風には見えない出立いでたちだ。
「……お前は、普段からそういう形なりをしているのか」
蛮骨の言葉に、勇音は自分の姿を見下ろした。
「これは城下の民に倣ったものだ。動きやすいし、いざというときすぐに戦えるだろう。
婆や達には、時々たしなめられるんだが……」
何かおかしいだろうかと、頬を掻いている。
ふと視線を巡らせた彼女は、蛮竜に目を留めた。
「それがお前の武器か。立派な鉾だな」
蛮骨の手によって磨かれた鉾は、ついさっきまで戦場を血潮で染め上げていたとは思えないほど美しく輝いている。
「ちょっと触ってもいいか?」
「構わないが、持ち上げるのは無理だと思う」
興味深げに、勇音は蛮竜に触れた。
「すごいな、蛮骨はこんなのを振り回して戦ってるんだな」
感嘆した表情で、蛮骨を振り返る。
「もうじき、夕餉が運ばれてくると思う。夜になったらまた来るよ。会わせたい人がいるんだ。
他の仲間たちも一緒で構わないぞ」
整った顔立ちをした娘は、首を傾けて微笑んだ。
顔だけ見れば、姫でもおかしくないとは思う。だが、中身や態度が、合っていない。
未だかつて、こんなに行動派の姫には会った事がなかった。
姫というものはしとやかで、控えめで…そんなものなのだと、決め付けていたが。
「ああ、わかった」
蛮骨が応じると、勇音は一つ頷いて部屋を後にした。
変な姫もいたものだ――と、残された蛮骨はぼんやりと考えていた。

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