いつの間にか陽が昇りきり、昼近くになっていた。
一息つこうと本陣へ戻ってきた蛮骨は、辺りが騒々しいのに気付いて眉を寄せる。
戦なのだから落ち着いていてもおかしいが、何となくそれだけではない気がする。
水を飲みながら周囲に目を配っていると、彼の元へ一人の武将が駆けてきた。
「蛮骨殿っ!! 大変です、勇音さまが……!!」
ぐっと詰まって、竹筒から口を離す。
「なに、どうしたんだ!」
「勇音さまが、敵方に捕らえられました!!奇襲を成功させた帰り道でのことのようで……!」
「捕らえられた!? まだ、死んではいないのか?」
「敵は、勇音さまを沙織姫と勘違いしているようです。
 彼らの要求では、降伏すれば勇音さまは解放すると…。急ぎ助けに参らねばなりません……!」
しかし、武将は苦しい顔をする。
勇音を助けるために隊を編成できるほど、戦力に余裕は無い。
隊を組めば戦況がますます危うくなる。しかし、姫である勇音を見捨てることもできない。
どうすれば良いのか、判断がつかないのだ。
「ここは戦場だ。勇音に何があっても、誰も攻めることはできない。お前たちはこのまま戦え」
蛮骨の言葉に、頭を抱えていた武将は驚いて顔を上げる。
「しかしっ、勇音さまは……!」
「俺が助けに行く」
武将は言葉を失った。
「お一人で……?」
「そっちの方が早い」
視線を滑らせ、蛮骨はある名を呼んだ。
「あとを頼む」
呆然とする武将の脇をすり抜けて、蛮骨は門から戦場へ出た。
そこには、白い狼が佇んでいる。
「仕事の最中に呼び出すなんて、珍しいね」
「女を探せるか。どこかに捕らえられてるんだが」
狼の背に飛び乗り、蛮骨はその首に手を添える。
「女? 蛮骨、まさか旅先で浮気してるんじゃないよなぁ」
「変な想像してんじゃねぇ。早く探せ」
「はいはい……」
蒼空は意識を研ぎ澄ませて、戦場を見回した。
「……あの、山の方だ。微かに女の匂いがする」
戦場には不似合いな、女の香が。
「行け」
蛮骨の言葉と共に、狼は走り出す。
人の目に触れるか否かの速さで、戦場を駆け抜けていく。
それほど時が経たぬうちに、彼らは小高い山の懐へ行き着いた。
狼の鼻に、はっきりと女の匂いが伝わる。
なおも走り続け、山を登ると、木々の無い開けた場所に躍り出た。
大きく張り出した崖。遥か下を、水が流れる音がする。
突如現れた巨大な狼に、たむろしていた敵兵が悲鳴をあげる。蒼空の背の上で、蛮骨は視線を巡らせた。
密集する敵兵の向こう、崖のすぐ手前に、柱が立てられている。
そこに、勇音が縛り付けられていた。
「勇音っ!!」
兵たちを食い止める狼の背中から飛び降り、蛮骨は彼女に駆け寄る。
彼女を拘束する縄を斬り、猿轡をはずしてやると、勇音は大きく見開いた目で蛮骨を見上げた。
「蛮骨……」
「勇音、怪我は…」
「勇音、だと?」
低い声が発せられる。二人ははっとそちらを振り向いた。
呆然とした敵将が、繰り返す。
「勇音…?…その女は、沙織という名のはず……」
「ばーか、こいつの名前は勇音だ!すっかり騙されやがって!」
「蛮骨…私は……」
「お前は、沙織なんて名前じゃねぇだろ」
視線を寄こす蛮骨に、勇音は息を呑んで言葉をなくす。
俯いて、唇を噛み締めた。
「おのれっ、ややこしい顔をしおって…!二人まとめて(ほうむ)ってくれる!!」
憤慨に顔を赤く染めた敵将が合図するとともに、矢が放たれた。
蛮竜の陰に勇音を引き入れてそれを防ぎ、蛮骨は蒼空に目配せする。
狼の瞳が光る。
咆哮(ほうこう)して、突進した蒼空は敵兵を撥ね上げた。
武将の目が一瞬、蒼空に注がれる。
その隙をついて間合いへ滑り込み、蛮骨は彼の首を刎ねた。
ごろごろと、首が転がる。傾いだ胴体とともに、それは崖の下へ落ちていった。
隊を率いていた武将の呆気ない死に恐れをなし、敵兵には逃げ出す者も出始めた。
「逃げるぞ、勇音!」
少女の手をとり、駆け出そうとする。
その瞬間、再び矢が放たれた。
蛮竜で防ぐより早く、間合いに飛んでくる矢。
「蛮骨っ!!」
それが視界に映ったとき、蛮骨の身体に重みがのしかかった。
「―――っ!」
どん、と小さな震動が伝わる。
しがみ付くように彼を庇ったた勇音の背に、数本の矢が突き刺さっている。
声も無く、彼女の身体が崩れた。
「勇音!!」
崖から落ちかかるその手を掴み取り、駆けつけた蒼空の背に引き上げる。
自分もその背に乗り、ぐったりと動かない彼女を支え、蛮骨は急いで蒼空を走らせた。


だかだかと、地を揺るがす足音が響く。
「はぁっ…何なんだよ! いきなり方筒打ち込みやがって…!」
凶骨の横を全速力で駆ける霧骨がうめく。
彼らは、城の裏手の山中を走っていた。
今までずっと沙織の部屋で警護にあたっていたのだが、そこに突然砲撃が浴びせられたのである。
剥き出しになった室内に敵兵が押し寄せ、思うように戦えなかった二人は、とりあえず開いた穴から外に飛び出してきたのだ。
「沙織姫、怪我はねぇか!?」
凶骨が呼びかけると、彼の手にかけられた着物の中から少女が顔を覗かせ、頷いた。
「だ、大丈夫です」
「追っ手はもういねぇみたいだな…」
後ろを振り向いた霧骨が速度を緩める。
彼らは、随分と山を登っていた。戦場が一望できそうなほどの位置にいる。
沙織を手の上から下ろし、凶骨はふぅと息を吐く。
「兄貴たちはどこにいるんだろうなぁ…」
「お前ェみてぇに図体がデカいわけじゃねぇんだ、こんな高さじゃ見分けがつかねぇよ」
戦場を見下ろして言う、霧骨をじとっと睨み、凶骨は沙織に向き直る。
「怪我がなくて良かったぜ。もし何かあったら、兄貴たちに叱られちまう」
「お二人のおかげです、ありがとうございます…」
目を細めた沙織は、自分もまた戦場を見晴るかした。
「姉さまは、無事でしょうか……」
自分と瓜二つの面差しをした姉の姿が、脳裏をよぎる。
不安げに呟く少女に、凶骨と霧骨は何とも答えられず黙り込んだ。

勇音の背を支え、蛮骨は焦燥のにじむ瞳で辺りを見回した。
追っ手はいない。それを確認して、蛮骨は蒼空を呼んだ。
疾駆(しっく)する狼が視線を向け、徐々に速度を落とす。
木々に囲まれた場所で足を止めた蒼空から降り、蛮骨は勇音を草の上に寝かせた。
少女が僅かにうめく。背中から流れる血が止まらない。
矢の一本が、心臓のすぐ横に突き立ったのだ。
所持していた布で傷口を縛ると、勇音がゆっくりと動かし、蛮骨を見た。
「蛮…骨……私は、もう……」
「っ…、諦めるな! すぐに城に連れて行ってやるから、持ちこたえろ!」
だが、縛った布にもどんどん血が染みていく。
勇音を蒼空に乗せようと腕を回した蛮骨の耳に、怒鳴り声が飛び込んだ。
「誰かいるのか!!」
木々の向こうに垣間見えた旗印に、蛮骨は舌打ちする。
敵だ。
「片付けてくる。すぐに戻るから、蒼空と一緒にここにいろ」
蛮竜に手をかけ、蛮骨は敵の気配がする方へ飛び出していく。
残された勇音は、そっと蒼空を見やった。
通常の狼よりも遥かに大きな体躯をした白狼は、心配げに蛮骨の消えた方を見つめている。
こんな獣を使役するとは、彼はやはり変わり者だ。
目を細めた瞬間、身体に激痛が走った。息をするのもつらく、喉が焼けるようだった。
―――持たない。
静かにはっきりと、そう思った。
「狼……」
小さな声音に耳を動かし、蒼空は勇音を見下ろす。
「頼みが…ある……」

炎に焼かれてぼろぼろになった木が、まばらに生えている。
現れた敵を一掃した蛮骨は、息をつく間もなく身を翻そうとした。
が、その足が止まる。
瞠目した彼の目には、血まみれで立つ少女が映っている。
「勇音……」
ふらりと、勇音の身体が倒れこむ。
その身を抱きかかえ、蛮骨は蒼くなった。
「なんで来た!? そんな身体で歩いたら……!」
「狼に頼み込んで……連れて来てもらった……私は、もう…持たないから……」
「諦めるなって言ってるだろ!!」
勇音はふるふると首を振る。そして仄かな笑みを乗せた。
「わかるんだ……だから、死ぬ前に……もう一度、お前に会いたくて……」
血に塗れて震える指を、蛮骨の頬に伸ばす。
「お前が、好きだよ…」
はっと、蛮骨が息を呑む。その顔が、僅かに(ゆが)んだ。
「ば…か、女なら、そういうのはもっと躊躇って、なかなか言い出せねぇもんだろ…」
声が無意識に震えてくる。勇音は力なく笑った。
「そういう、ものか…。でも…言えて、良かった……」
咳き込み、口の端から赤い筋が伝う。
「もういい、喋るな…」
「覚悟は…できてると、思ってたのに……死にたくない……もっと、蛮骨と一緒に…」
勇音の目から、涙が落ちていく。
力の入らない指が、着物の袖を握り締める。
「な……お前の、好きな…人には…こんな思いは……」
涙に濡れた瞳が、閉じていく。言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「いさね……おい、勇音…っ!」
指に触れる肌が、熱を失っていく。
愕然と膝をつき、蛮骨は俯く。
白い狼が、そろそろと隣に歩み寄った。
「蛮骨……」
勇音の亡骸(なきがら)を抱えて、蛮骨の身体はしばらく動かなかった。

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